昭和九年九月二十一日、四国、近畿地方を中心に、気象観測所始まって以来の大型台風が吹きあれた。室戸台風である。
 その爪痕は深く、死者・行方不明者三千人、負傷者一万五千人、家屋の全半壊は八万八千戸というすさまじい災害であった。

 

 前年、全社の総力をあげて、大開町から門真に本社、工場を移転したばかりの松下電器も大打撃を受けた。本社一部損壊、乾電池工場全壊、配線器具工場全壊……。
 折悪しく、幸之助は、夫人が風邪をこじらせて入院中で、病院から工場へ駆けつけたのは、ようやく風もおさまりかけていた昼近くであった。

 

 「あっ大将、ご苦労さんです」
 出迎えた工場長は幸之助の胸のうちを思う。
 「えらいことになりました。ご案内します。いっぺんずうっと見てまわってください」

 

 無残な姿を露にしている工場のほうへ導こうとした。すると、幸之助は手に持った扇子をもてあそびながら言った。
 「いや、かめへん、かめへん」
 「ハア?」
 「きみなあ、こけたら立たなあかんねん。ちっちゃい赤ん坊でもそうやろう。こけっぱなしでおらへん、すぐ立ち上がるで。そないしいや」
 そう言い残すと、工場の被害状況などどこ吹く風といった様子で、一瞥もくれることなく立ち去った。

 

 「こけたら立つのや」
 幸之助の言葉のもと、即日再建のための活動が始められた。その数日後、幸之助は幹部を招集した。

 

 「みんなご苦労さん。ところで、今はきみたち個人も会社も被害を受けてたいへんなところやが、同様にお得意先の問屋さん、販売店さんもまたこの暴風雨下、無事であったとは思えない。いずれも松下電器と行動を共にしてがんばってくれている人たちや。ついてはお見舞金をお届けしたいと思う」

 

 全壊、半壊、床上浸水等々、その被害状況に応じて見舞金を用意する。幹部をはじめ従業員たちは泥海と化した市内に散っていった。