昭和三十一年、九州松下電器はゼロから出発した。数年は利益が出ず、赤字の累積額は資本金の数倍にも達した。年二回、幸之助に決算報告をする担当責任者は、いつも申しわけない気持ちでいっぱいだった。
創業から三年ほどたった決算報告のときである。「赤字続きで申しわけありません」と詫びる責任者に、幸之助は意外なことを言いだした。
「きみな、きみとこの建物の長さいくらあったかな。あれ、ずいぶん大きいな」
九州松下電器の工場は、以前ある会社が使用していた遊休施設を地元の強い要請によって使うことにしたもので、五階建て、長さが二百メートルもあった。むろん当初使用していたのは一階部分だけであったが、建物の長さいっぱいに“ナショナル”の大きなネオンを開業のときからつけていた。
「きみ、あのネオンな、もし銀座のど真ん中であれだけのネオンをつけたとしたら、権利金やら何やらどれくらいになるか一ぺん計算してみい」
「わかりませんけど、たいへんな金額になるでしょうね……」
「うん、今はそれくらいに考えておけばええ。今出ている赤字くらい知れたものや。あのネオンで、松下電器ここにありということを皆さんに知ってもろているわけやし、今きみたちが一所懸命人を育てて準備してるのやから、ほんとうに仕事ができるようになってくれば、それくらいの赤字はへっちゃらや。まあ、すぐ取り戻せる。だからあんまり心配せんとき」
そんな変わった激励を受けた幹部はじめ全員の努力の結果、九州松下電器は、その後三年ほどで累積赤字を一掃した。