昭和四十年の大晦日、幸之助はNHKの「紅白歌合戦」の審査員席についていた。絢爛豪華な美しい舞台に、次々に歌手が登場して歌う。そんな歌手一人ひとりに拍手を送っていると、二時間四十五分がまたたくまに過ぎ去った。しかし、審査が終わると幸之助は外に飛び出さねばならなかった。
元旦から家をあけたくない。羽田零時一分発の最終便になんとしても乗りたかったからである。NHKの配慮によって無事羽田に到着。タラップに足をかけたときは、昭和四十年が除夜の鐘とともに、まさに終わろうとしているときであった。そして、天空に飛び立ったとき、昭和四十一年の新しい年が静かに明け始めていた。
幸之助は思わず、ハタと膝を打った。
“そうだ。今年はウマ年だ。そして、自分もウマ年だ。考えてみれば、ウマ年生まれの自分が、ウマ年がまさに明けそめんとするこのときに、天空高く飛んでいる。これこそ、「天馬空を往く」の図ではないか。こいつは縁起がいい。今年はきっと、明るくいい年になるぞ”
幸之助の発想は、常にマイナスをプラスに、プラスをさらに大きなプラスに変える発想のようである。