幸之助は幼いころ自転車店で奉公していた関係もあって、独立してからのち、常々何か自転車用品をつくってみたいと思っていたが、夜間、自転車を走らせていると、ロウソクや灯油のランプの灯火が風ですぐ消えて不便を感じたみずからの体験から、実用的な自転車用電池ランプの考案を思い立った。そのころにも、自転車用電池ランプはあるにはあったが、点灯時間が二、三時間、故障も多くとても実用的といえるようなものではなかった。

 

 そうとわかると、いてもたってもいられない。幸之助はみずから図面を引き、考案試作に没頭した。ときにそれは深夜にまで及び、半年のあいだに何十もの試作品をつくり、研究に研究を重ねた。その結果、従来の電池ランプより飛躍的に点灯時間の長い砲弾型のランプをつくることに成功した。

 

 “これはいい。格好がよくて、構造が簡単、そして何よりも四、五十時間も点灯する”

 

 そのころ電池は三十銭、ロウソクは一時間一本で二銭。幸之助が考案した電池ランプのほうがはるかに安くつく。

 

 “これは売れる。必ず売れる”

 

 幸之助の喜びは確信に変わった。
 さっそく電池ランプの生産を始めるとともに、大阪市内の問屋に売りにまわった。
 しかし、結果は意外だった。

 

 「なるほど説明を聞くとよい品のようだが、売れるかね。電池ランプは点灯時間が短いうえに、故障も多くて評判を落としているから、あまり期待はできないね」

 

 一軒一軒まわったが、どこの問屋の反応も似たりよったり。電器店がダメならと自転車店をまわったが、結果は同じ。また大阪がダメなら東京でと、東京に行ったがやはり同じことだった。
 そうこうするうちにストックが三、四千個もたまってきた。それでも幸之助は希望を捨てなかった。

 

 “どう考えても製品は悪くない。売れない原因は問屋が従来の電池ランプのイメージにとらわれて、自分が開発した電池ランプのよさを理解してくれないところにあるにちがいない。どうしても問屋がダメなら小売店をまわろう。信用してくれないなら、現物を預けて実際に試してもらおう。売るよりも知ってもらうほうが先だ”

 

 幸之助は点灯実験を頼み、納得したら買ってもらうべく、現物二、三個ずつを小売店、自転車店に預けてまわった。一人では一日に何店もまわれない。三人の外交員を採用し、地域割をして、一斉に大阪市内をまわらせた。
 すると現物実験で製品のよさを知った小売店から、次々と注文が入り始めた。二、三カ月後には二千個も売れるようになった。

 

 また最初は相手にしなかった問屋も、小売店や自転車店からの注文でそのランプの評判を知るようになると、改めて仕入れたいというところが増えてきた。そこで幸之助も変則的な小売店との直接取引きをやめ、問屋との取引きに切り替えた。

 

 この成功で自信を得た幸之助は、新聞広告でランプの代理店を募集、さらに販路を全国に広げていった。その結果、このランプは翌年には月一万個以上も売れる商品に成長し、新しくランプの専門工場を建設するまでになったのである。