おれは運が強いぞ――人生断章〈4〉
幸之助は、十五歳のとき、町を走る市電を見て電気事業にひかれ、六年近く勤めた五代自転車商会をやめた。そして大阪電灯会社への入社を志願するが、欠員が出るまでの三カ月間、セメント会
五銭白銅の感激――人生断章〈3〉
幸之助は九歳のとき、単身大阪に奉公に出たが、最初の奉公先は、八幡筋の宮田火鉢店であった。親方と何人かの職人が火鉢をつくり、それを店頭で売るという半職半商の商店で、ここで、朝早
運命の分かれ道――人生断章〈2〉
大正七年に松下電気器具製作所を創設し、ようやく軌道に乗り始めた翌八年の暮れのことである。大阪電灯会社時代の知人がひょっこり訪ねてきて、幸之助に一つの提案をした。  
紀ノ川駅の別れ――人生断章〈1〉
幸之助が社会に第一歩を踏み出したのは、尋常小学校四年の秋のことである。 生家は村でも上位に入る小地主で、かなりの資産家であったが、幸之助が四歳のとき、父親が米相場で失敗、