現在、橋下大阪市長を中心に「大阪維新」の動きが活発化していますが(2012年9月時点)、半世紀近く前に、「昭和維新」という言葉をもって、国民に「目覚め」の必要性を強く訴えかけたのが、松下幸之助でした。

 日本と日本人に、当時の松下は何を求めたか、その主要論考・提言をご紹介します。 

(2012.9.7更新) 

詳細

 弊PHP研究所の創設者松下幸之助は、昭和40年代に「昭和維新」を唱えました。その後、大前研一氏が「平成維新」を発信し、いまは橋下氏が「大阪維新」を標榜しています。松下が「維新」を唱えはじめた昭和40年代初頭の日本は、高度経済成長期を謳歌しつつも、各方面で静かに危機が忍び寄っている、そんな時代でした。実際にその後、全共闘運動やオイルショックなど、精神面でも物質面でも、次第に目に見える危機が噴出しはじめます。

 

 松下は、明治維新の志士たちを尊敬しており、明治100年にあたる昭和43年の7月、坂本龍馬らの霊を祭るべく、有志とともに霊山顕彰会を発足させ、初代会長に就任します(詳しくは霊山歴史館HPを)。

 そしてその頃、日本を蝕みつつあった危機を察知し、明治維新にも比すべき大転換期が訪れると予感、「昭和維新」という象徴的な言葉を度々使って、国民に警鐘を鳴らしはじめます。みずからの会社、つまり松下電器産業(現パナソニック)においても、創業50周年と明治100年を重ね合わせ、「維新」の必要性を社員に強く訴えかけ、共有していました。

 

 ただ、この昭和40年代初期の松下の危機意識は、まだ「意識」であり「願い」の段階でした。本格的な開放経済体制への移行、資本自由化、そして40年代後半のオイルショックなど、世界経済での変化が国民生活にも直接影響を及ぼすようになった日本――それでもなかなか高まりを見せない国家全体の危機感に、松下は焦燥感をもっていたのでしょう。

 危機への処方箋、具体的政策論の研究をPHP研究の一環として進め、その成果は昭和50年のベストセラーとなった『崩れゆく日本をどう救うか』(PHP研究所刊)に凝縮されることになりました。「願い」を願いのままで終わらせなかったのです。

 

 翻っていまの日本はというと、間違いなく停滞期にあり、危機の質に違いはありますが、危機に対する鈍感さに関していえばますます深刻化している感が否めません。松下の危機意識がほとばしる昭和43年3月の論考(内容一部)を、以下にご紹介します。ご一読ください。

PHP研究所経営理念研究本部

 

泰平ムードのこのときに

  今、日本と日本国民の繁栄にとって、いちばんの問題点は何かというと、私はそれは基本的にいって、お互い国民の精神というか、人心というものが昨今いささか安易に流れ、脆弱(ぜいじゃく)になりつつあるということではないかと思う。というのは、今日のわが国の世相というものを静かに眺めてみると、戦後ここまで一応の平和が続き、経済的にもある程度の繁栄を見てきたということもあって、社会全体に一つの安泰ムード、泰平ムードというものが広まり強まってきているように思われる。

 早い話が、町なかの遊戯場や繁華街は昼日なかから非常ににぎわっており、休日には行楽地に人々がどっとおしかける。もちろんお互いがこのように娯楽なり休養を求めるということは、心身の健康のため、あすのよりよき活動のために大いに必要なことではあろうが、しかし昨今はいささかこれにとらわれるというか、行きすぎた面も出てきているように思えるのである。 

 

 しかも一方、日々の仕事に対する考え方はどうかといえば、そこに自分の生きがいを見いだしつつ喜んで働くというよりは、生活のためレジャーを楽しむために、いわばやむなく働いているんだという傾向も、だんだんと強まってきているように思われる。そしてその結果、日本人本来の勤勉性というものを、知らず識らず失いつつあるという傾向も出てきているようである。

 

 さらに、一般的な人々の考え方にしても、いわゆる自立心を欠くというか、何ごとにせよみずからの力、みずからの責任において事を行おうとするよりも、安易な気持ちで人を頼み、団体を頼み、政府を頼むなど、他に依存しようとするような姿も見受けられる。また同時に、みずからの当然果たすべき責任をも平気で他に転嫁するなどの風潮も、一部には生まれてきているように思う。これは個々人の場合ばかりでなく、会社商店や各種団体、あるいは国全体の場合を考えても、そういう姿がまま見られるように思うのである。(中略)

 

 明治百年を迎えた今日のわが国は、今一つの大きな転換期に来ているというか、政治、経済をはじめ国全体が、今重大な岐路にさしかかっているように思えてならない。つまり今日は、明治維新ならぬ“昭和維新”というか“繁栄維新”ともいうべきものが実現されねばならぬときではあるまいか。そのことをお互いが正しく察知する必要がある。

 そしてそういう重大な岐路に立たされた以上は、全国民がそれぞれにこれまでの安易感なり依存心というものをふり捨てて、新たに真に国民共同の繁栄を生み出すためには何をなすべきかということを、真剣に考えあわねばならないと思うのである。

 

 またそういうことを、政治家をはじめ学者、評論家、マスコミ関係者など日本の指導層の方々が、もっと声を大にして積極的に訴えていただきたいと思う。そういう影響力のある方々の建設的な指導、鞭撻(べんたつ)の積み重ねが、結局は国を動かす原動力になってくるのではないかと思う。そのような立場にある方々が言うべきことを言わずしては、決して人心も改まらず、安泰ムードが健全な方向に向かうというようなことはありえないと思うのである。

 

イギリス衰退の歴史的教訓

  そういう意味からも、私は、今日のイギリス衰退の姿を他山の石としなければならないと思う。イギリスはこのたび再び経済危機に陥り、やむなくポンド切下げを断行した(注:昭和42年末のこと)。

 

その原因についてはいろいろ見方もあるだろうが、私は、イギリスという国は全体として伝統に固執した保守的傾向がきわめて強く、また極端にいえば、かつての植民地支配の上に知らず識らずのうちにあぐらをかいてきたその精神が、情勢が変化してきた今日においてもなおぬぐい去られず、古きよき時代の夢を見続けているような一面があったからではないかと思う。

 

 またそのほかに、いわゆる“揺り籠(かご)から墓場まで”といわれるほどの行き届いた社会保障制度によって国民が手厚く保護されすぎて、肝心の勤労精神までしだいに失いつつあるとか、かつてはきわめて旺盛(おうせい)であった進取的気象が今日ではまったく乏しくなっているとか、いろいろの原因が考えられるであろう。

 しかも一方では、そのような背景から生まれた深刻な経済危機について、政府なり経営者、労働組合の幹部、その他イギリスの指導者たちが一般国民に率直に訴えず、全国民が安泰ムードからぬけ出してこの経済国難に真剣に対処することの大切さを、力強く要望、鞭撻し続けてこなかったということが、イギリスの衰退に輪をかけたといっても過言ではないであろう。 

 

 もちろん、イギリスも今では経済復興のために、国家の指導者をはじめ心ある者が立ち上がって懸命に努力を続けているようであり、その努力は多としなければならないが、しかし、長年の惰性というものは、早急になんとかしろといっても、いかんともしがたいものがあるようだ。これはいうなれば、貴重な歴史的教訓といえるであろう。われわれは決してこのイギリスの轍(てつ)を踏んではならないと思う。

 ただ、そういうイギリスですらも、こと外交に関するかぎりは、いわゆる超党派外交で心を一つにしてやっている。その点はわが国の実情に即してよく考え直さなければならないが、ともかくもわれわれは、このイギリスの衰退の二の舞を演じないよう心を引き締めることが何よりも大事だと思う。

 

 昨今のわが国には、この英国とやや相似た姿が現われてきているようにも思われる。この国情がさらに悪化し、やがてはイギリスよりも衰退するというようなことが決して起こらないとはいえない。むしろ大いにありうるという前提で、お互いが真剣に反省しあわねばならないと思うのである。

 

正しい意味の愛国心を

  そういうことを考えてみると、わが国の前途は必ずしも楽観が許されないと思う。政治のやり方にしても、経済の仕組みにしても、あるいは国全体にまだまだ早急に解決を迫られている問題が山積し、今なおそこにいろいろのムダなりロスをかもし出している。しかもその多くは、抜本的な改善策を要し、おそらく一朝一夕には解決がつかない問題ばかりであろう。今こそお互い日本国民が泰平ムードから目覚めて、そういった問題を根本的に改善するような方向に踏み出さなければならないと思うのである。

 

 もともとお互い日本人は、長きにわたる歴史、伝統を通して脈々と培われてきた、すぐれた素質というか、伝統の精神をもっているのである。だから、もしお互い日本国民が自分たちのこの恵まれた素質なり伝統の精神というものを素直に自覚、認識し、思いを新たに国民共同の基盤となるような国是というか、国家の経営基本方針を打ち立て、それを基調に、互いに独立性を発揮して磋琢磨(せっさたくま)しつつ、日々の活動を進め、国家を運営していくならば、日本のこれからの安定と繁栄がさらにいちだんと高い姿で実現できるであろうし、世界の繁栄と平和にもますます貢献していくことができるであろう。 

 

 ただ、そのためには国民としてぜひとも考えねばならないことがある。それは何かというと、いわゆる正しい意味における愛国心というものを、もっと育て培っていかねばならないということである。いくら国民の目覚めが肝要であるといっても、それだけでは何か芯(しん)になるものが足りないように思う。そこに芯が入って初めて、国民の正しい自覚と活動とがさらに力強く生まれてくるのではないだろうか。 

 

 そして、その芯になるものは何かといえば、結局はわれわれの住んでいるこの社会、この国に対する愛着心であり、正しい意味における愛国心だと思うのである。(後略)

 

『PHP』昭和43年3月号「あたらしい日本・日本の繁栄譜38」

『松下幸之助発言集40』所収


 

 次にご紹介する昭和42年2月の講演記録(内容一部)は、おそらく松下が公的な場で「昭和維新」をはじめて発信したときのものです。前段では「資本の自由化」「物価騰貴」といった当時の経済問題について、さらには松下の独特の政治観にもとづく「政治の生産性」向上の必要性などに言及しつつ、結局は、国家も企業も国民も、すべてが維新の気持ちをもって難局に立ち向かうことが不可欠だと強く訴えかけています。

 

世界の日本という認識を

 まあ、一つの例をあげますと、これは悪いほうの例でありますが、ちょうどきのう私は、NHKのテレビを見ておったんです。カリフォルニアの実況の報道がございました。カリフォルニアは、日本の国土よりも少し大きい土地面積をもっております。人口は、二千数百万人ということであります。米国の各州から、カリフォルニアに、カリフォルニアにと非常に人が集まってきておるということでございました。非常に栄えとるわけであります。

 

 その日本の全国土よりちょっと広い程度のカリフォルニアに、飛行場の数がなんぼあると皆さんお考えになりますか。お考えになったことがあるかどうか分かりませんが、私も考えたことなかったんです。しかし、きのうの報道を見ますと、なんと一千八百あるんですよ、飛行場の数が。これは発展しますよ。能率上がりますよ。

 

 まあそう広いとはいえませんわね、日本と同じくらいですから。日本よりちょっと広いくらいですから。人口は日本の五分の一であります。非常に少ないんです。その少ない二千数百万人の人の活動下に、必要とする飛行場を一千八百つくってるわけですね。そして瞬間にいずこへでも行ってるわけです。日本ではいったいなんぼあるんですか。百カ所ぐらいあるんでしょうかね、まあ二百ぐらいあるんでしょうか。これでは日本は、まだまだその生産性を高めるというようなことはできないなという感じがいたしましたね。思い立ったらすぐに北海道まで行ける。まあ今でも行けますけど、札幌だけしか行けませんやろ。そのほかへはまっすぐには行けません。そこからまた五時間ぐらい列車に乗らないといけませんから。ところがカリフォルニアだと千八百あるんでありますから。どこにどうあるか知りませんけども、きっとバランスよく配置しているんだと思います。

 

 それより前に、やはりNHKのテレビを見てますと、アメリカの人口一万二千人の町に飛行場ができてるんです。そしてその飛行管制というものは、羽田に次ぐような飛行管制設備をもっているということでした。

 

 その二つを思い合わせてみますと、もし日本が今後、ある程度の飛行場というものをつくろうということになりますと、少なくとも五百の飛行場をつくらねばいかんだろうと思います。それを十年間にやるといたしますと、はたしてできるかどうか。金はなんぼ要るんかということを考えますが、これをつくらなくては、世界の一流国、世界の先進国には対抗することできないでしょう、ほんとうは。もう今や日本は世界の日本になり、資本の自由化をし、世界に市場を求める、というときに、大東京に飛行場が一つしかない。着陸するのに上でクルクル回って時間待ちしなくちゃならん状態である。もう三年もすれば、飛行する時間よりも天上で回っている時間のほうが長うなりますわ。(笑)これは物価騰貴に結びつきますよ。(中略)

 

今こそ昭和維新のとき

 こういう状態では、今日までは発展してまいりましたけれども、今日以後いけるんかどうかということです。私は、国民がこの機会に思いを新たにいたしまして、国家の開発、国民の向上発展のために社会開発に協力するという精神を、全国のすみからすみまでずうっとつくりあげねばならんと思うんです。そのためには政府と申しますか、総理大臣は、全国民に訴えるものをもたないといかんと思うんですね。ところが訴えるものはない、とは言いませんが、あんまり訴えてませんね。

 

 議会ではいろいろやってます。それは議会というものは国民の代表機関であるから大いにやってもらわないといけませんが、アメリカの大統領の態度を見てますと、議会でものを言い、議会で答弁し、議会に要請はしてますけども、それ以上に、常に国民にものを言うてるんですね。国民はこうあってほしい、国民にこういうことを要望するということを、常に国民に訴えてますね。国民は、大統領の言うこと、政府の言うことに対して、あるいはうなずき、あるいはかぶりを振ったりしています。それを議会が見ている。そのとおりに議会はついてくるんです。議会は、国民に背を向けては行動できないと思います。私は、議会は国民の意向によって動いていくだろうと思います。国民が、常に大統領と面と向かって、うなずき、かぶりを振ってるんですから、議会はついてこざるをえない。そういう状態にあるのが、私はほんとうの民主主義やと思うんです。しかるに日本は、国民は棚上げで、議会で取引をしているということですもんな。そんなのはうまいこといきませんわな。(笑)

 

 そういうことを考えてみますと、維新というような言葉がある種の改善を意味するならば、私は、今こそ真の意味の昭和維新であり、日本人は長き伝統の日本精神によって日本を見返らなくてはならん、そして新しい日本を世界に進出させなければならんという感じがしてならんのであります。資本の自由化ということは、そういうことに最も時宜を得たもんだと思うんです。

 

 世界の日本に対する好意というものは、いろいろありましょう。何もしなくても日本は好もしい国やというて好意をもってくださる国もありましょうが、金を入れたらいちばん好意もちますよ。私はそう思うんです。われわれが、自主的といいますか、自主権と申しますか、自主独立の力を失わずして、海外の資本を保守するという態度をもって臨んだならば、全世界は日本に対して、いやでもおうでも好意をもってくるだろう。利益を分配してあげなければ、今日は許されない。共存共栄ですからね。利益を与えずして、相手の利益を取るだけの考えで外交を論ずるということは、ナンセンスだという感じがいたします。(中略)

 

 そういうことで今日は、日本の昭和維新と申しますか、ほんとうの再建を考える絶好の機会であると思います。戦後二十年は、再建と申しましても、食うや食わずの中で無我夢中に働いたんでありますが、今日は多少の余裕ができた。食うにこと欠かず、着るにこと欠かないというような状態まで進んできた。住宅はまだ十分でありませんが、ともかくも相当発展してきたこの段階に立って初めて、われわれは本心に立ち返りまして、経営者といわず各階層の人々といわず全部が、長き伝統の精神と申しますか、この国土に培われた日本精神というものを近代化いたしまして、新しい生き生きとした民主主義日本を新たに生み出す、絶好の機会に今当面していると思うのであります。そういう精神のもとに、資本の自由化というものと取り組んでみたいと、かように考える次第であります。

 

昭和42年2月8日「第5回関西財界セミナー」における講演

『松下幸之助発言集3』所収

 

松下の「維新」に関する考え方を収録した商品 

道は無限にある

 

 ほか関連図書

崩れゆく日本をどう救うか

遺論 繁栄の哲学