日本経済にまたもや減速の気配が忍び寄っています。 国内大手企業の経営危機が次々に露見、絶えない隣国との摩擦、はたまた“財政の崖”不安に直面するアメリカ経済の影響が懸念されるなど、不安定な要因は枚挙にいとまがありません(2012年11月21日時点)。

 

 そうした中、政治が増税路線に踏みきり、確たる景気回復策も提示できないまま解散総選挙へと突入した日本は、いつ「デフレ」から脱却し、経済停滞を抜け出すことができるのでしょうか。

 

 戦前から高度経済成長期まで、幾多の経済危機・金融危機を体験した松下幸之助は、経営者として大きく2度、「デフレ」と向き合っていました――。

(2012.11.21更新)

 

詳細

 「デフレ」にどう対処すべきか。バブル崩壊後、約20年にわたる経済停滞の中で、多くの経済学者・政治家・識者がこの議論を続けてきました。そうした中、2012年2月、年率1%のインフレ率をメドにすると発表した日銀は、先の10月30日、デフレ脱却、緩やかなインフレを目指すという方向性を政府と連携して進めるとし、さらなる金融緩和強化に動いています。金融政策面では、アメリカやインフレターゲット政策を採用する先進国に近づいたようにもみえますが、その質・量、そして効果を疑問視する声も国内外から聞こえてきます。 いまの日本のデフレとは性質が異なる面がありますが、松下は大きく2度、「デフレ」と対峙しました。1度目は、1929年の昭和恐慌以後のこと。2度目は、太平洋戦争敗戦後、1949年以後のいわゆるドッジデフレです。いずれも、インフレ抑制のためのデフレ政策によって生じたものでした。

 

 1度目の1929年頃、松下電器(現パナソニック)は規模的にまだ中小企業でした。企業の成長を支える“人”を絶対に失いたくないとの思いで松下がとった経営判断、そしてその決断に動かされ、懸命の努力を重ねた従業員の姿は、いまも松下電器の栄光の歴史として語り継がれており、まさに自力でデフレ不況を克服した局面でした。冷え込む国内需要に対し、過剰となった供給を一時的に止め、在庫一掃に人員コストを傾注する。その間、賃金は減らさず、従業員のモチベーションを下げない。中小企業がとれる緊急デフレ対策として、いまの時代でも参考になる面はあるでしょう。松下の没後、最初に刊行された『人生談義』(1990年)には、当時の松下の心境がこう記されています。

 

 冬から春への移り変わりを眺めていると、時といういわば目に見えない大自然の力というものを感じさせられます。春になればらんまんと咲く桜花といえども、冬の間は花を咲かすことはできない。いかに望もうと、冬が過ぎ春が到来するまで待たなければ、花ひらくことができないのです。もっとも、桜はただ単に待っているのではないと思います。冬の厳しい寒さをじっと耐え忍びつつ、一瞬の休みもなく、ひたすらに力をたくわえている。そうした営みがあればこそ、春の到来と共に、一気に美しい花を咲かせることができるのだと思うのです。それが自然界の姿であり、自然の理というものでしょうが、お互いの仕事や人生においても、冬の桜のように耐えて時を待たなければならないことが、往々にしてあるのではないでしょうか。

 

 ぼくも事業を進める中で、いく度となくそうしたことを経験してきました。かなり以前の話になりますが、昭和四年の不況のときもそうでした。当時の日本は、浜口内閣のデフレ政策や金解禁により、大不況に突入。物価は一斉に下落するのみならず、物の売れゆきは急速に落ち込んでゆきました。企業の倒産もあちらこちらで起き、それと共に、従業員の賃金の減額や、解雇などの問題が各地で起こり、厳しい労働争議が続出していました。そうした中で、松下電器も、売り上げが急に落ちて、通常の半分以下という状況になりました。またたくまに在庫の山ができ、その年の暮れには、倉庫がいっぱいになって、どう工夫して積み込んでも入り切らないという状態になってしまったのです。資金に十分な余裕があれば、まだよかったのですが、当時は新しい工場を建設したばかりで資金が枯渇しており、そのままの状態で仕事をつづけていけば、やがて経営が行きづまってしまうのは火を見るより明らかでした。そういう非常事態の中で、折(おり)悪(あ)しく病床に身を横たえていたぼくのところへ、幹部の人たちが、いろいろ考えた末の善後策を持って訪ねてくれました。

 

「販売が半分に減り、倉庫は在庫の山です。この危機を乗り切るためには、従業員を半減するしか道はありません」

 

 それを聞いてぼくは、一面もっともなことだ、そうするのが、こういう際の常道であろう、とは思いました。しかし、それがほんとうに正しい道であるかどうか、あらためて考えてみたのです。松下電器は現在確かに苦しい。従業員を半減することによって、この苦しみから逃れられるかもしれない。そうするのも一つの策であろう。けれども、松下電器は将来、さらに力強く発展していかなければならないことを考えると、せっかく採用した従業員を、いま不況だからといって解雇することはどうしてもすべきでない。ここは何とか、耐え忍んで、不況を乗り切らなければならない、というのが自分なりの結論でした。そこで、いろいろ思いをめぐらした結果、こう決断したのです。これ以上在庫を増やさないために、生産を直ちに半減して、工場は半日勤務にする。しかし、給料は全額支給しよう。そのことによる損失はあるが、しかし、これは長い目でみれば一時的なものであって、たいした問題ではない。さらに、倉庫にたまっている在庫の山についても、売れないとあきらめてはいけない。売るための努力は、すでにこれまでにも十分しているであろうが、なお徹底してやろう。全員で昼も夜もなく、また休日を返上し、全力をあげて在庫品を売る努力を重ね、耐えつつ時を待とう。

 

 ぼくのこの決断を聞いた幹部の人たちは非常に喜んで、「あなたがそう決心をされたのなら、必ず遂行してみせます。だから、安心して養生していてください」と帰っていきました。従業員の人たちも、それを聞いて大いに喜び、全力を尽くして販売に努めることを誓ってくれたのです。その成果は、恐るべきものでした。全員が大いに張り切って取り組んだ結果、翌年の二月には、在庫品の山はウソのように消えてしまいました。しかも、それからは、半日生産をフル生産にしても、なお追いつかないほどの活況を呈するようになったのです。これは、ぼくの体験の中の一つの事例にすぎませんが、お互いの人生においては、このように耐えて時を待つことによって好ましい結果に結びつくことが、少なくないのではないかと思うのです。

 

 そして2度目の1949年頃は、すでに大企業へと成長し、政治や社会情勢が経営に及ぼす影響の度合いもより高まっていました。当時の経営状態の悪化は深刻なものであり、希望退職者を出すなど苦渋の選択も迫られました。1949年1月の経営方針発表会で、松下は以下のように、社員に要望したといいます。

 

 過去三年間、会社は利益をあげていない。借入金を増やし倉庫の在庫品を減らして、実質的には欠損をしてきた。そういう過去の経営であってはならない。本月からは、少なくとも利益をあげていくことである。どうしても利益を生んでいかなければならないのである。皆さんが、朝から晩まで会社の仕事に従事してくださって、そうしてその働いた成果というものがゼロではいかんということである。その働いた成果には、必ず利が出なければならない。これをなしえないような経営では絶対に意義がない。いやしくも数億の金を使い、数千台の機械、数百棟の建物を使用し、七千の人が朝から晩まで一所懸命に働いて、何ら利潤も出ないということは、国家をしてだんだん貧困ならしめ、会社をしていよいよ衰微せしめ、全従業員がだんだんと貧困になることでしかない。かくのごとき能のない働きに終始してはならないのである。われわれが産業人であることを考えるならば、これだけの人の働きの成果を黒字にもっていって、国家の繁栄と、会社の繁栄と、従業員の生活向上になるような成果ある仕事を断じてやる、ということを、はっきりとわれわれは認識しなくてはならない。そうでなければ、あってかいない存在であると私は考える。あってかいない存在ならば、松下電器は解散をしてよろしいものであると思うのである。

『松下幸之助発言集22』より

 

 まさに不退転の覚悟という表現がふさわしい内容ですが、その後の松下電器は、生産規模の縮小と合理化、販売網の再編成などの大改革を断行します。そしてようやく成果が結実しだした頃に、朝鮮特需が生じ、景気が上向きはじめたのです。松下電器にとって、特需の直接的恩恵はさほど大きくなかったものの、日本経済が活気を帯びてきたことで電気器具の需要も大幅回復し、いわば自力と他力が複合して、難局打開をなし遂げることができました。

 

 その後の日本経済はというと、高度経済成長期に突入し、賃金と物価は上昇、つまりインフレをつねに懸念しなければならない時代になります。グローバル企業に成長しつつあった松下電器として、交易条件や為替レートの変化、あわせて政治の良し悪しなどが及ぼす影響は、ますます高まっていきました。松下が次第に政治にものを言う経営者となっていったのは、そうした面も少なからずあったでしょう。

 

 それから半世紀ほどがたち、2012年の日本は世界でも類をみない長期のデフレ下にあり、円高・ドル安、賃金下落、雇用不安、膨大な財政赤字など、不安定・マイナス要因を挙げだすときりがない状況です。2011年3月の東日本大震災を景気反転の機とすることもかないませんでした。はたまたグローバル化が刻々と進む世界経済に目を向ければ、“財政の崖”に直面するアメリカ経済、いまも不安定な欧州経済の動向・影響もつねに考慮しなければなりません。中国や韓国との摩擦も油断を許さない状況が続いています。松下の時代とは比較にならないほど複雑に絡み合うグローバル経済の中で、現在の企業経営者は経営の舵取りをしていかねばなりません。

 

 停滞する日本経済を、成熟した経済の結果と考えるべきなのでしょうか。デフレは悪ではないと考える向きもあるようです。しかし松下は、そのような姿を、日本の理想として求めてはいませんでした。ストーリー仕立てでまとめた『私の夢・日本の夢 21世紀の日本』(1977年)という著書の中で、2010年に理想の日本を実現させた立役者の一人・山本長官の言を借りてこう言っています。

 

 「いまのわがA国のように、GNPが前年を下まわるような、ゼロ成長とかマイナス成長ということはないのでしょうな」と、ハーマン氏がたずねる。

 

 「ええ、最近はありませんね。あれは三十年ほど前でしたか、石油価格が世界的に一挙に四倍になったことがありましたね。日本ではオイル・ショックといっていましたが、あのあと深刻な不況になって、一時経済成長がマイナスになるということがありましたが、それを克服してからは、だいたい安定的に堅実な成長をしてきましたね。  もっとも、そのオイル・ショック以前には、ご承知かとも思いますが年々十数%というような高度成長だったわけですが、それはいささかゆきすぎた姿ですから、そこまではやらないようにしようということで、四、五%というところを一つの標準にしてやってきているわけです」

 

 「その程度の経済成長で、物価の方はいかがですか。非常に安定しているようにうかがっていますが」

 

 「物価の上昇率は、だいたい横ばいですね。高い時でも一%ないしは二%までというのが最近の姿です。ご承知のように、私どもの国は、国内に資源が乏しく大部分を輪入していますから、どうしても世界的にインフレ傾向になれば、多少ともその影響は受けざるを得ない面があるわけです。もちろん、そういうことをできるだけ少なくするような措置も、オイル・ショックの時の反省からいろいろ考えて実施もしていますから、以前のようにまともに大きな影響を受けるということはありませんが、皆無というわけにはいきませんね。  景気にしても同じことで、日本は工業製品のかなりの部分を輸出していますから、その面でも、他の国ぐにが不景気になって輸入を抑制すると、やはりそれに多少は影響されます。ですから、もし日本が国内に資源も豊富にあって、すべて自給自足できるというのであれば、景気の動きにしても物価にしても、さらに安定するかもしれませんね」という山本長官のことばに、

 「いや、これは耳が痛いですな。そうなると、さしずめ私どもなどは、お国の経済に悪影響を与える元凶のようなものですね」と、ハーマン氏は苦笑した。

 

 「そういう意味で申しあげたわけでは決してないのですが、しかし、今日のようにだんだん世界が経済的に一体化してきて、国と国との経済交流が盛んになってきますと、どこの国でも純粋に一国だけの繁栄とか、安定といったものはあり得なくなっているのは事実でしょうね。他国の動きというものは、程度の差はあっても、なんらかの形で自分の国に影響してくる、逆に自分の国の動きも、他国に影響を与えるということです。ですから、みなさんのお国が理想的な姿になっていくということは、みなさんのお国にとって好ましいことであると同時に、必ずそれは周囲の国ぐに、ひいては日本にとってもプラスになることだと考えられます。そういう意味では、自分の国をよくしていくことは、自国のためだけでなく、世界の他の国ぐにに対する義務だといえるかもしれませんね。これは経済にかぎったことでなく、あらゆる面で共存共栄ということが必要になるのではないでしょうか」

 

 現在のグローバル経済を見通していたのではないかとも思われる内容ですが、経済成長率が4~5%、インフレ率は1~2%を実現できていれば日本の繁栄は揺るがないと、松下は考えていたようです。そして不思議にもこの松下の数値目標だけをみれば、近年主流となりつつあるリフレ派の経済学者の意見と大筋で符合します。さらには日銀が目指しているインフレ率も1%なのです。もはや望ましい状況というのは明らかなのではないでしょうか。あとは、その望ましい数値を政治がどう実現していくかなのです。

 

 企業が収益力を高め、個人の給与・賃金が上昇し、相対的に物価が下がり、実体経済が力強く安定的に成長していくことを、老若男女を問わず日本国民の多くが切望し、日常の厳しさに耐え続けています。

 

 松下は1929年のデフレ不況期を思いおこし、“耐えて時を待つ”ことの大切さを説きましたが、我慢にも限界というものがあります。解散総選挙を控え、景気回復・経済成長に向けた政策・公約を各政党がどう打ち出すのか、その政策に、国民はこれまで以上に厳しい眼を向けなければなりません。

PHP研究所経営理念研究本部

 

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