先の2012年12月16日におこなわれた衆議院総選挙において、自民党が大勝、政権をとり戻しました。

 

 民主党への不信感が如実に数字にあらわれた今回の選挙において、争点になったのは、経済成長・景気浮揚策、消費税問題、そして原発問題でしたが、それらに隠れて目立たなかったとはいえ、国家の最重要事項である問題がありました。 9条改正をめぐる「憲法」問題です。

 

 これは松下幸之助が生きた時代から論議され続けてきたことであり、松下も、本人いわく「憲法についてはまったくの素人」といいながら、あえてこの最重要事項に憂国の発言をしていました。

(2012.12.21更新)

 

詳細

 松下は、それまで温め続けた自身の政治・経済に対する考え方をいったんまとめ、1965年から『実業の日本』誌と『PHP』誌に「あたらしい日本・日本の繁栄譜」を同時連載、諸問題について言及していきました。そして3回目にとり上げたのは、「憲法」問題でした。松下はその冒頭でこう前置きをしています。

 

 「私は憲法についてはまったくの素人である。したがって、ここでいわゆる学問的に憲法を論ずることはできないし、またそのつもりもない。しかし、たとえ素人であり、通俗的な意見しか述べられないとしても、憲法について関心をもち、みずから考えてみることは、国民の一人としても非常に大切な、かつまたぜひしなければならないことだと思う」。

 

 では松下は、具体的にこの問題をどう考えていたのでしょうか――。まず松下は、真の繁栄を生み出す憲法の三原則として以下を挙げました。

 

(1)人間の本質、人類共通の普遍性に立脚する(普遍性)  

(2)国家の個性、国民性に立脚する(国民性)  

(3)時々刻々に移り変わっていく社会情勢に相応じた時代性をもつ(時代性)

 

 現在の日本国憲法においても、(1)は実現されているようにみえるかもしれません。しかし(2)や(3)はどうでしょうか。戦後つねにとり上げられてきた9条改正も、その視点で是非がいま問われているといえるでしょう。近年の隣国との摩擦の激化が、その必要性をさらに国民に強く問いかけています。これからはじまる安倍政権も自衛隊を「国防軍」とすることを公約に入れました。憲法9条改正は、安倍氏の持論でもあり、隣国の目に見える軍事的脅威が存在する中で、この問題は急展開をみせるのかもしれません。それでは松下は、この「国防」という点でどう考えていたのでしょうか。

 

 (上記三原則のもと、日本国民が日本独自の発展をはかっていくという)使命の達成を阻もうとする行為があった場合は、国民はどういう態度をとるべきかということが問題になってくる。私は基本的には、「国の内外を問わず、日本国民全体の責任においてこれを排さなければならない」と思う。たとえば、国内で政治家自身がこの国民の使命を達成するにふさわしくない行為をするという場合があれば、われわれ国民はその政治家の更迭を図らなければならない。それは政治の主権者たるわれわれの正当な権利、義務であって、そうしなければ国民主権の体制をよりよく生かすことができないであろう。こうした日本国民の悲願、念願なり使命というものを、十分に考慮に入れない個人、団体の活動は、国民全体の立場からやはり是正されなければならないと思うのである。

 

 また国外におけるものとしては、他国が侵略の戦争をしかけてくる場合だけでなく、平常の外交においても、このような考え方のもとに、受け入れるべきは受け入れ、排すべきは排す自主性ある態度をとりたいものである。現行憲法の前文には、「……平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した」ということがうたわれているが、私はこれには、何か自主独立の態度に欠ける他人任せのいわば居候〈いそうろう〉的考え方を感じる。われわれにとって最も大切なこの安全とか生存というものを、このように人に任せているということでよいのだろうか。これでは、みずからの生存と安全の責任を他国に負わすことであって、独立国としては無責任な態度となるのではないだろうか。もちろん他国民を信頼すること自体は間違いではないけれども、それによってみずからの安泰を期そうというのは間違っている。私は安全と生存というようなものは、やはり人間としてまた国家として、みずからがなすべきことをなしてこそ初めて保持しうるもので、そうすることが真に自主独立した国家国民がとるべき態度だと思うのである。

 

 そして同連載の7回目では、以下の具体的私案を掲げ、憲法前文の改正をおこなうべきと主張しました。

 

  日本国憲法前文(私案)

 日本国および日本国民の繁栄、平和、幸福を念願して、ここに新しい日本の憲法を制定する。

 われら日本国民は、過去の歴史におけるすべての人類と等しく、平和を愛好し、物心ともに豊かで幸せな生活を望み、広い自由と高い秩序のもとに限りなく生成発展していくことを念願する。 

この念願を果たすために、われら日本国民は、真理に従い、普遍的人間性にもとづいて正しい社会正義を打ち立て、日本国民としての権利と義務を正しく自覚実践する。またわれらの祖先が築きあげてきた長きにわたる歴史、伝統を受け継ぎ、われらの国土を愛するとともに、世界に比類のない天皇を象徴とした国民主権の民主主義体制を誇りとしつつ、われらとわれらの子孫のために、常に新しい時代に即した発展への道を求めんとするものである。これが今日に生きるわれら日本国民に与えられた崇高な使命であり、この使命は、全世界の諸国家、諸国民から等しく賛同支持を受くるものと確信する。

 もしこの使命の達成を阻もうとする行為があれば、国の内外を問わず、日本国民全体の責任においてこれを排さなければならない。

 われら日本国民は、かかる精神にもとづいて日本国を運営し、世界の諸国家と協調しつつ、全人類の繁栄、平和、幸福に寄与せんことを誓うものである。

 

 この私案にある日本国の「運営」について、松下はいつもみずからの経営体験をもとに考えたこともあってか、「国家経営」という言葉を使っていました。借金経営をきらい、国家の税金の無駄づかいに強い警告を発し、自身の経営のコツともいえる「ダム経営」を国家レベルで考え、無税国家論、収益分配国家論といった持論を世の中に提起しました。以下は、その松下が考えた国家経営と憲法の関係性について、『政治を見直そう』(1977)という著書の中で説いたものです。

 

 この国日本が真の国家経営を行なうようになるためには、具体的にどのようなことが大切になってくるのでしょうか。それにはまず第一に、政治家もお互い国民も、真の国家経営の意義を正しく知って、本当の政治について正しい理解、認識を養っていくことが肝要だと思います。そして次には、国家経営を真の国家経営たらしめるために、国家経営の理念、哲理といったものを明確に打ち立てなければなりません。つまり、この国日本と日本人の未来をいかに好ましいものにしていくのか、のぞましいあすの日本とはどういうものか、そういった未来を築くためには国家国民としてどういうことを考え、行なわなければならないのか、といったことについて、ハッキリとした考えをもたなければならないということです。そして、そういう考えに基づいて、さらに具体的に、国家国民共通の大目標、すなわち日本人全体として生み出していくべき好ましい日本の未来像、そういったものを掲げる必要があると思います。そうすれば、それに向かって、政治家もお互い国民も、それぞれの立場で、自由に創意工夫を働かせ、よりよき知恵を生み出し、力づよい活動を進めていくこともできやすくなるでしょう。もちろん、今の日本においても、国民全体として共通に守っていくべき大事なものとして、憲法が明らかになっています。けれども憲法は、たとえていうなら会社の定款のようなものでしょう。定款はもちろん非常に重要なものですが、どの会社の定款もだいたい似たようなものでしょう。けれども、会社の場合には、その定款のほかに経営理念をもって、それに基づいて方針がたてられ、それによって定款を守りつつ経営を盛んにしている会社があります。また一方では、同じように定款はあっても経営理念がなく、一生懸命に働いていて、しかも成績があがらず、つねに問題を起こしているといった会社もあります。

 

 そのことを考えてみると、定款はあっても、それを実際にどう生かしていくかについての考え、経営理念がハッキリしているかどうかによって、実際にあらわれてくる姿も変わってくるわけです。これは国家の場合でも同じだと思います。憲法はあっても、その憲法をよりよく生かすその国としての経営理念がなければ真に好ましい国家の姿は生まれてこないと思うのです。ハッキリとした国家経営の理念があって、そのもとに国家国民全体としての目標を掲げることが大切なのです。そしてそのように、日本と日本人全体の大目標を掲げ、それに向かって各人それぞれの立場で努力を重ねていくところに、憲法もより正しく活用され、日本の国の国家経営というものもハッキリと行なわれるようになると思います。またそういう国家経営の理念が明らかとなれば、国の内外に対してもつねにハッキリとした考えをもってあたることができるでしょう。たとえ外国から何らかの不当な働きがあったとしても、それに正しく対処することもできやすくなると思うのです。日本としての考え方、とるべき態度がなかなか決まらず、国の内外に不信の念を与えるような姿も、まず起こってこないでしょう。

 

 この提言をした頃、松下の憲法、国防に関する考え方はほぼ固まっていたといえます。それが『私の夢・日本の夢 21世紀の日本』(1977)にも記されています。2010年の理想の日本をストーリー仕立てで描いたこの著作において、防衛庁長官として日本の繁栄実現に貢献する岡田長官の言葉を借りて、松下はみずからの意見を述べています。

 

 「日本国民にとって忘れてならないのは、世界平和なしには自国の存立はないということです。アメリカやカナダなどのように、資源や食糧の自給ができ、いざとなれば自国だけで何とかやっていける国とは根本的に体質がちがうということ、それだけに世界平和については協力を惜しんではならないということですね。ですから日本の防衛の基本はいわゆる“目には目を”“歯には歯を”というように、力には力をもって対抗しようというのでなく、たとえ力で向かってこようとしてもこれに徳をもって対するというか、精神的な立派さなり、諸国への必要度、信頼度というものによって十分に対していけるような、そういう国としての力量をさらに養っていかなければならないということでしょう。もちろん日本はある程度の防衛力、自衛力は備えていますが、そのようにできる限り共存共栄外交、すなわち徳行外交によって立つように心がけているのです。そしてそのように、いわゆる経済大国から徳行大国へというのが、私どもの念願なのです。そこに最も人間味あふれるというか、人間本来の礼の精神にかなった理想の国家像があるのではないかと思うからです。私の口からいうのはおかしいですが、幸いにして日本国民は、そのように徳行国家を育てていく素質なり条件がそろっていると思うのですよ」

 

 ただしその「防衛力・自衛力」への考え方について、以下のようなことも、あわせて明記しています。

 

 「もし平和の心なき国民が大きな防衛力をもてば、あるいはそれをいらざる戦争に使うかもしれません。だから平和の心がしっかりと養われていない国民がそれをもつことは危険な面があります。けれども、平和をほんとうに望んでいる国家国民であれば、その国にふさわしい防衛力はあっていいというか、むしろなければならないと思うのですよ。それは、自国の安全のみならず、ひいては隣国なり友好国の安全にもつながってくると思われるからです」

 

 「(核兵器は)もっていません。もとうと思えば技術的には十分もてますが、原子爆弾を落とされた経験をもつ日本国民としては、決してもつべきではないという一致した国論がありますし、第一、広大な国土をもつ国ならばともかく、せまい日本には実験する場所もありませんからね」

 

 「防衛力というものは単に武器や兵力だけでなく、いろいろな面の総合されたものですからね。それに核戦争というものは一度起こってしまえば、もう局地戦争にとどまらなくなるおそれがあります。とくに大国同士の核戦争というものは、人類全体の破滅につながってくるわけですね。だからそのときはもうジタバタしてもはじまらないとも考えられるでしょう。けれども実際問題として、そういう核戦争は核保有国といえども自国の滅亡、人類の滅亡を賭すという覚悟がなければ万が一にも起こせないわけです。それに対して通常兵器による戦争は、もちろん望ましくないことはいうまでもありませんが、実際には幾度となく起こっています。そういうことからも、核時代には通常兵器というものは時代遅れで無用のものと考えたら、大きなまちがいだと思うのですよ。そこで日本では、核兵器はもたないけれども、核以外の通常兵器なり防備の面ではかなり力を入れていますし、それは世界諸国からも一流のレベルにあると認められているのですよ」

 

 日本人がまず世界平和を強く希求する民族であり続ける。そして核兵器は持たない。しかし万一に備え、防衛力はつねに維持する。独立国家として、自国の防衛を他国任せにしない。自主独立の精神が漲る憲法に改正する。憲法は会社でいえば定款のようなものであり、これを日本国民がみずからの手でつくりあげなければならない。その見直し、改正とともに、憲法をよりよく生かす国家経営の理念を明らかにし、そのもとで掲げるところの国家経営の基本方針・目標(それを松下は「国是」といった)に向かって、国民一人ひとりが各々の立場で努力を重ねていくことがなによりも大切である。これが憲法にかかわる松下の主張の大要です。翻って、これからの安倍自民政権がどう国家経営をしていくのか――。松下と同様、「憲法」改正、「防衛力」という面にも、日本国民は注視していかなければなりません。

PHP研究所経営理念研究本部

 

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