雪害など深刻な自然災害に見舞われる各地で黙々と人命救助、物資輸送活動に従事する自衛隊。

 そうした活動を見、松下幸之助はどのような行動をおこしたのでしょうか。

(2014.2.25更新)

 

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 松下幸之助が戦後に始めたPHP活動にこめた願い、それは「物心両面の調和ある豊かさによって平和と繁栄をもたらそう」というものでした。では松下は、その平和を享受するにあたって、国の安全を守る「自衛隊」に何を求めていたのでしょうか。

 

1963年1月のこと、日本海沿岸を襲った豪雪により、北陸地方の交通機関が途絶、その際に自衛隊が災害派遣され、各地で長期間、献身的に救助活動を続けました。この労苦に対し、関西財界有志が自衛隊を慰問激励しようと発意します。さらには当時、大阪に自衛隊を支援する団体がなかったこともあり、自衛隊による国土防衛活動への協力、さらには防衛思想の普及をはかるための組織として大阪防衛協会を発足させ、その初代会長を松下がつとめたのです。以下は、協会創立20周年に寄せた松下の祝辞の一節です。

 

 大阪防衛協会が昭和39(1964)年2月設立総会を開催し、私が初代会長をお引き受けしてから今年ではや20周年を迎えることとなりましたが、この間における2代目会長阿部孝次郎氏、現会長新井正明氏はじめ会員の皆様方の熱意あるご活動により、協会の運営が活発に行なわれておりますことを心から喜んでいる次第であります。

 

 私が会長に就任の際、「国家防衛即ち自衛は天の命ずるところ」、その役割を果たす自衛隊の存在と活動により良い理解をもち、敬意と感謝とともに熱意を傾けてその使命に参与するのが、われわれ国民の当然の義務であり権利であると述べたことをおぼえております。あれから20年、厳しい国際情勢を反映して国民の防衛に対する関心は逐次高まりをみせ、各種意識調査の結果をみましても、国民の自衛隊に対する支持率は常に80%を超えるに至っておりますことは、これまたまことにご同慶に堪えないところであります。

 

 私は常々、日本に生まれ育ったことを誇りとし感謝していますが、また、この美しい国土と伝統に輝く日本民族を守り、21世紀に向かってわが子孫に立派な国として残さねばならない義務と責任があると考えています。そのために私達は自らの手で自らの国を守る強い意志と、自衛隊に対する物心両面にわたる支援が今後とも必要だと存じております。

(『まもり』第66号<1984>より抜粋)

 

 「自衛は天の命ずるところ」というのがまさに、松下の自衛観を支える根幹であり、補足すれば、それは「雨ガエルが保護色をしているように、自然は一切の生物に自衛力を与えている。しからば人間はどうかというと、保護色などはないが、みずからを守る知恵才覚が与えられている。それを正しく生かしてみずからを守り、社会を守り国を守ってゆかなければならない。それをしないのは天の意志、自然の摂理に反する」というものでした。この発言に、3代目会長で、松下とも親交のあった故・新井正明氏(住友生命元社長)は「感銘を覚えた」といいます。たしかに終戦という悲しい歴史による国民の「心」の傷跡が癒えない時代に、経営者が「自衛」を語るのは余程覚悟のいることだったのでしょう。けれども松下は臆することなく、自衛隊を激励する講話、防衛思想を普及するための執筆活動をおこないました。1966年4月、海上自衛隊の幹部を自社工場の見学に迎え入れたときには、以下のように説いています。

 

 日本だけはですね、平和な夢を見ていると申しますか、平和ということと繁栄は理想として考えることはもちろん、いかなる国としても必要だろうし、またやらないかんけれども、理想だけではいけないと。理想を掲げると同時に、その理想を達成するような力を持たなければならない。そういうことが今後の自衛隊に課せられた大きな責任やないかと思うんです。(中略)

 

 今日、いかなる産業とを問わずですね、芸能人なら芸能に命を懸けている。われわれは、われわれのこの産業、この仕事に命を懸けている。そして初めてそれが成り立っていくんですね。命を懸けずして、遊び半分で、一人前の芸能人も仕上がるものやない、一人前の産業人も生まれるものやないと私は思うんです。そういうことを、私はいつも自問自答しているんです。皆さんもやっぱりそうやと。皆さんも国防に意義を感じ、よし国防に命を懸けようと。そして国民に安堵を与えると。それで国民にはそれぞれの立場でまた命を懸けて繁栄を創りだしてもらおうと。そういうふうな感じを持っておやりになっておられるのだろうと。

 

 産業人も芸能人も、そして自衛隊員も、ともに課せられた使命を果たすことに命を懸けて、日本の繁栄を創りだそう。平和の実現という理想を達成する力を持つことが、あなたたち(自衛隊)に課せられた使命なのだ。松下の真情、心根が伝わってくるようです。そして松下は、こうした心持ちを大事にしつつ、『Voice』1985年12月号掲載の「21世紀の日本への提言」と題した論考で、次のように自らの自衛論を訴えたのです。

 

 われわれは理想に走りすぎて現実の姿を忘れてはならないと思う。すなわち現実の問題として世界の諸国が軍備をもちながら活動を続けている今日、その諸国民に自分たちの安全と生存を任せようという考え方は、いささか安易というか、一方的といえはすまいか。現に今、実際のところは他国に頼るというかたちになっているように思われる。もしこのように、他国民の好意を期待してみずからの安泰を期そうというのであれば、決して理想の姿とはいえないであろう。

 

 終戦直後のわが国のような非常時とか、他国の援助を受けなければやっていけない弱体国の場合はともかくとして、一人前の独立国としては、このようないわば居候的な態度はぜひとも避けねばならない。つまり自主独立国である以上、みずからの安全や生存というものは、できるかぎりみずからが守るように心がけ、その上に立って他国と協調しつつ世界の平和と繁栄を求めていくというのが、当然の姿だと思う。

 

 こうした松下の自衛観は、1977年に刊行された『私の夢・日本の夢 21世紀の日本』(2010年の日本の理想の姿を未来小説として描いた書)のなかで、登場する人物の言を借りて明確化されています。

1.侵略戦争は永久に放棄する。

2.戦争は相手があるものであり、平和を希求しつつも、常に有事に備え、自衛隊という防衛力を備えておくことが望ましい。

 

 さらに同書では、2010年の日本国民は「単に自衛隊があれば何となく安心だとか、たとえば地震や台風などの大きな災害があったときに、出動してもらえるから便利といった、そういった便宜的な考えからではなくて、万一の他国からの侵略なり脅威に備え、国民の安泰をはかるために自衛隊が必要であるという考え方におのずと目覚め」ており、「強力にして合理的な自衛隊を存置しようということが国民の常識」になっていると記されています。そうした国民の理想の姿を松下は夢見たのです。

 

 昨年(2013)末に安倍首相は靖国神社を参拝、憲法改正についても年末年始に強い意欲を見せました。隣国との緊張関係が刻々と高まるなか、集団的自衛権について、日本人はいずれ大きな選択を迫られることになるでしょう。「自衛」「防衛」をどうするか。「自衛隊」という存在をどう認知するのか。もはや遠い未来の決断ではないのです。

PHP研究所経営理念研究本部

 

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