所得倍増の言葉に酔って、非常に甘い考えになっているのが、日本の経済界であり、社会ではないか。早く二日酔いからさめて、厳しい現実と戦わねばならない。日本の経済と社会のアンバランスに警鐘を鳴らす。

 

所得倍増の二日酔い

発表媒体

『文藝春秋』1961年12月号

 

内容抄録

 私は所得倍増はけっこうであると思います。所得三倍増もけっこうです。しかしそれにはなんといいましても、それを遂行する基本的力が必要なのです。

 いままで時速五十キロで走ってきた自動車を、所得の倍増ということで、それを時速百キロで走らすには、自動車そのものを吟味しなければならない。また、運転手の腕がいいかどうか、ということも吟味しなければならない。そうしなければ、五十キロで安全運転していたからといって、百キロになっても安全運転できるとは言えない。

 と同時に、私はやはり国民精神の基本的な作興運動というようなものを基礎に所得倍増をのせていかなければならないと思うのです。国民精神の作興運動というような言葉は、戦争に通ずるような言葉で、耳に響きが悪いかもしれませんが、なんと申しましても、一つのことを行うにあたっては、やはり精神的な面も並行させて行かなければならないのに、どうもそういう呼びかけはほとんどないといってよいと思います。

 のみならず、所得倍増の言葉に酔って、非常に甘い考えになっているのが、日本の経済界であります。だからいわばザルに目ばりをせずに倍増の水を流したようなことになっている。所得倍増の水を入れるならば、ザルに目ばりをしなければならない。目ばりとはなんぞやというと、それは国民の精神だと思います。

 ほんとうに国民が一致団結して、そうして自由貿易化に成功するためには、お互いになにを考え、なにをしなければならないかというような、われわれの本来の心を呼びもどすとでも申しますか、そういう強い基盤を作り上げながら、所得倍増をやっていけばいいが、それを放っておいてただ所得倍増だけだったから、悪い結果になったんだろうと思います。

 ですから、戦さで申しますと、いったん兵を退いて、傷ついているのをそれぞれ治療し、思いを新たにして、もう一ぺん出直すというような態勢を速かにとらなければならないというのが、今日われわれが面している段階ではないかと思うのです。