総理大臣を社長とし、官吏を社員、国民を株主とすれば、国会は株主総会となって、ここでは、みんなが、わが国がいかにすれば儲かるか、繁栄するかを真剣に考えることになるだろう。その結果、成果も上がり、税金に対する配当も多くなるにちがいない。国民も納得して税金を納めるようになる。

 

“日本産業株式会社”設立のすすめ

発表媒体

『電波時報』1953年10月号 「放談」

 

内容抄録

 二年ほど前から何度かアメリカへ行って感じたことの一つは、アメリカという国は実に合理的でおもしろい国だということである。何がそんなに合理的でおもしろいのかというと、国の仕組みなり考え方が、いわば“アメリカ産業株式会社”という一つの事業会社のように思えたことである。

 つまり、大統領が社長、官公吏が社員、そして国民は、その納める税金をこの会社に投資している株主である。とすれば、国は株主である国民に配当をしなければならないから、大統領も官公吏も国民も、みんながどうすればこの会社が儲かるかということを真剣に考えている。それがアメリカという国の実体ではないかということである。

 

 したがって大統領は社長であるから、国家の経営について全責任を持たなければならない。そのために確固たる経営理念とその方策とを打ち樹てなければならないし、官公吏は社員として、この理念のもとに社長の命にしたがって真剣に働く。そして得た利益が、株主である国民全体に配当されていく。国民も配当をもらわなければならないから、ボンヤリ見すごしているわけにはいかない。経営が悪ければ忠告を与えるであろうし、文句もいう。みんながこの会社の一挙手一投足に真剣な眼を注いでいるのである。

 私はここにアメリカが繁栄している根本の原因があるように思う。そしてまたここに民主主義思想の一つの断面があるような気がする。

 

 そこでこの際、わが国でも総理大臣を社長とし、官吏を社員、国民を株主とする“日本産業株式会社”にしてはどうだろうか。そうすれば国会はいわば株主総会で、ここでみんなが、わが国がいかにすれば儲かるか、繁栄するかを真剣に考えることになる。その結果、成果もあがって、税金に対する配当も多くなってくるにちがいないし、国民も納得して税金を納めるようにもなるであろう。

 “放談”の依頼に対する私の真剣な放談である。