わが国の中央集権的な色彩の強い政治制度を改め、県の機能を簡素化して州をつくり、それに独立国的な性格を与える。もし、こうした地方の自主性を大幅に認めた「置州簡県」を実施するならば、地方全体の政治の生産性も向上し、国民活動も活発になるだろう。また結果的に国全体としても大きなプラスになる。

 

繁栄に結びつく置州簡県

発表媒体

PHP』1970年3月号 「あたらしい日本・日本の繁栄譜」

 

内容抄録

 “置州簡県”を行うことによって、いったいどういう姿が実際に生まれてくるであろうか。

 現在のわが国では、東京が唯一の首都であり、ここに全国から非常に多くの人々が集まってきている。ところが、州というものをおくことによって、それぞれの州に首都がつくられる。そうすると、日本の各地方に首都がいくつかできることになる。そうなれば、その州の事柄はすべてそこで処理できるわけだから、もう東京に行く必要もほとんどなくなってしまう。したがって、現在のように東京だけに極端に多くの人口が集中することもなくなり、日本の人口は適度に各州へ、すなわち全国に分散することになるであろう。

 これは東京のみに限らず、人口の大都市集中による過密、あるいは一方で農村地帯などの過疎に悩むわが国においては、非常に大事な点ではないだろうか。つまり、わが国において特定の地方のみが繁栄し、その他の地方は繁栄が遅れるというようなアンバランスな姿は、州をおくことによって逐次解消の方向に向かい、日本全体としてバランスのとれた好ましい繁栄の姿というものが現われてくるのではないかと思うのである。

 

 また、現在では、日本じゅうどこへ行っても、社会のすべての面における物事が、それぞれ中央の政府の行き方と関係をもっているために、そこにはおのずと画一的な姿が現われているようだが、今日の府県よりもずっと高い独立性をもった州ができれば、いろいろ異なった姿が現われてくると思う。すなわち、各州に政治の主体をおくのであるから、それぞれの州においていわば独自の政治、経済、その他社会各面の活動というものが生まれてくることになる。そうなれば、他の州でより好ましい姿を生み出している場合には、それを見倣うこともできる。つまり州と州のあいだで、今の府県間におけるより以上の切磋琢磨〈せっさたくま〉が行われうることになるわけである。そこからは、常に創意工夫も生まれ、それぞれの州の経営も進歩向上し、逐次好ましい繁栄の姿が生まれてくるであろう。

 しかも、それぞれの州は、独立性はもつがまったくバラバラの活動をするというのではない。全体としては一つの国家を形成しているのだから、各州の活動はおのずと国家経営の基本的な方針に沿ったものとなるわけである。ましてわが国は、異なった人種、民族が入り混じって住んでいるのではなく、ほとんど同一民族の国である。したがって、それぞれの州が独自の行き方をするといっても、当然そこには共通性も多く、互いに調和しあった好ましい姿というものも生まれてくるであろう。そして、そのように全体としての統一をとりつつ、各州がそれぞれ独立性をもって歩むという姿からは、必ずや国家国民全体の繁栄、発展というものが生まれ、高まっていくにちがいないと思うのである。