たとえば織田信長という人は、ずいぶんワンマン的な大将だったようですが、その信長でも、やはりつねに軍議なり評定というものをやっています。桶狭間の合戦のような非常の場合でも、結果としては重臣たちの意見に反して、ただ一人城をうって出るといったことをしていますが、それとてもやはり意見を聞いた上で、なおその衆議を上まわる知恵をみずから生み出したということであり、その他の時は、重臣だけでなく、むしろ木下藤吉郎のようないわゆる末座の家臣にも発言させ、是とするものはどんどんとりあげています。
『日本と日本人について』(1982)