お釈迦さんでも、修行して、いかに艱難辛苦しても、悟れない時は悟れないわけです。悟れる時は、何の苦労もせずに悟れた。けれど、私が思うには、お釈迦さんは終始一貫「悟りを開きたい。この宇宙というものについての道を知りたい」という要求だけは強かったわけですね。死にかけて、倒れて気絶するというその瞬間でも、それだけは忘れずに求めていたのだと思います。それで、菩提樹の下でホッと悟りを開いた。

松下政経塾 塾長講話録』(1981)