どうして日本が今日のようなゆきづまりの様相を呈するにいたったのか、その根本の原因について、すべての日本人が「なぜ」と問うてみることがまず大切ではないかという気がするのである。

なぜ』(1965)

解説

 「『なぜ』と問うてみることがまず大切」。そう松下幸之助が提案したのは「なぜ」でしょうか。その答をだすためのヒントが『道をひらく』の一文にあります。

 “日に新たであるためには、いつも「なぜ」と問わねばならぬ。そしてその答を、自分でも考え、また他にも教えを求める。素直で私心なく、熱心で一生懸命ならば、「なぜ」と問うタネは随処にある。それを見失って、きょうはきのうの如く、あすもきょうの如く、十年一日の如き形式に堕したとき、その人の進歩はとまる。社会の進歩もとまる。繁栄は「なぜ」と問うところから生まれてくるのである”

 幸之助は、“日に新た”であることは自然の理法であり、万物のあるべき姿だと説きました。すべては、ゆきづまってはならない、進歩し続けるようになっている、ということです。そしてその具現には、お互い人間が宇宙に存在する万物を生かし、活用することが必要不可欠、それが達成されてこそ社会に真の繁栄がもたらされると信じました。

 つまり幸之助にとって、日に新たとはすべての人に求められる行き方であり、その役割・責務を果たすためのもっとも有効な具体的実践方法として、「なぜ」と問うことを提案したのです。そうして当時、日本のゆきづまりを心底憂えていた幸之助は、自らが率先して「なぜ」と問い、実際に数多くの政策提言をおこなったのでした。

学び

「なぜ」と問うているか。

「根本」に眼を向けているか。