どこの国でも、その国の伝統があり、またその国々において立派なものを持っておると思うのです。ですから、他の国に比べて、日本がとくにすぐれた国だなどと言うことは遠慮すべきだと思いますが、しかし、他の国に向かっては別として、われわれ日本国民の立場として、われわれ日本人同士で、日本という国はほんとうに立派な国であるということは十分に話し合っていいと思います。
『一日本人としての私のねがい』(1968)
解説
前回コラム(第30回)でご紹介した松下幸之助の“謙虚な誇り”という言葉を具体的に実践すると、こうなるのでしょう。「すぐれた国だ」という思いが過ぎれば、人種的優越主義や国粋主義に陥ってしまう恐れがある。ゆえにそれは「遠慮すべき」だけれども、自国内でお互いの誇りを謙虚に確かめ合う姿勢は必要だと幸之助は考えていたのです。
これは企業に置き換えて考えてみることができるでしょう。“自分の会社は素晴らしい、うちの経営理念はどこにも負けない”などと喧伝しても、世間の人が“ああそうですね、素晴らしいですね”と心から賛意を示してくれるでしょうか。そうではなく、企業のよさ・素晴らしさというのは、商品や社員の日々の言動を通じて、市場と対話する中で、人々が感じてくれるものであり、押し付けや独り善がりが生み出すのは、結局は反感でしょう。しかし社員同士では、自社のすぐれた部分を認識し、その点を伸ばして線や面にしていく方策を、全員で考え行動していかなければ、厳しい競争に勝ち残ることなど望めない。それがいまの時代です。どこが「立派」なのかを認め合い、話し合い、それを基軸として心を合わせて前進する。今回の言葉は、そうした自社の持続的発展を実現するために、企業として必要不可欠な姿勢と相通ずる面があるといえます。
ちなみに国家レベルで考えるなら、優生学を信奉し、アーリア民族の人種的優越を説いたヒトラーを思い起こすとわかりやすいでしょう。じつは幸之助はヒトラーの事例をもって教訓たらしめるような発言を1960~70年代によくしていました。ドイツ再建の英雄になるはずが行き過ぎてしまい、しまいには、人類史上に残る惨禍をもたらすことになった。その歴史に日本人は学ぶべきだと語っています。そして1960年代後半の日本といえば、高度経済成長期の只中にあり、日本全体がさまざまな危機の種を見過ごして、前に進んでいるときでした。そのことを見抜いていた幸之助は、このままでは後々に禍根を残す、いまこそなすべきことはなにかを見直し、反省し、課題克服をしていかなければならないと警鐘を鳴らし続けました。それは企業経営だけでなく、国家財政から土地問題、政治家の資質、教育問題まで、みずからが気づく限りの問題に言及していったのです。
危機が静かに蔓延し、それに慣れて、感覚が麻痺してしまったかのような現代日本において、今回の幸之助の言葉はますます価値を増しているようにみえます。国民と政治がもっと話し合う場を増やし、官民一体となって、より高い衆知を集め、行政に反映させていくシステムを築きあげる。そうしたアクションが、いまなによりも政治に求められているからです。
学び
話し合うことで、お互いに立派さを確かめ合う。
その立派さが、確かな未来をつくりだす基となる。