松下幸之助経営塾 聴講ノート Vol.18

松下幸之助経営塾では、塾生の皆様に「松下真々庵」を訪問してその雰囲気を体感して頂いたうえで、"生成発展"や"自然の理法""素直な心"など松下幸之助の思想の基本的な概念や考え方について理解を深めて頂きます。

では、松下幸之助にとって真々庵とはどのような意味を持ち、いかなる場所だったのでしょうか。

幸之助は昭和36年に松下電器の社長を退任して会長に就任すると、京都東山に一邸を求めて真々庵と名付け、かねてからの念願であったPHPの研究を再開します。
その庭は名作庭家・7代目小川治兵衛によるものでしたが、入手した当時はかなり荒れていたといいます。

そこで幸之助は、この庭を自らの好みに合わせて数度に渡り改修しています。あえて名木や名石を使わず、木々それぞれの個性を生かし、池を広げ滝を作って動きを与え、灌木を取り除いて足元をすっきりさせる。さらに、東北の角に自らの念を納めた根源社を設置、白砂と杉を配して神苑としました。

池泉回遊式庭園の基本は守りつつ、変えるべきところは大胆に変える。組織にスーパースターはいらない、適材適所で個性を生かして全体の調和を重視する等々、この庭園が幸之助の考え・思想を表現した庭といわれる所以です。

以来、真々庵はPHP活動の拠点として『道をひらく』や『人間を考える』など多くの著作を生み出す場となり、また後の松下政経塾に繋がる政策提言をまとめるなど研究活動の中心となり、一方では財界人や政治家、学者など多くの著名人をもてなす松下電器の迎賓館として活用され歴史を生み出す舞台ともなりました。

昭和42年にPHP研究所が京都駅の南に移転した後も、幸之助は重大な局面に臨む度に真々庵を訪れ、根源社に手を合わせ決断を下していたといいますが、これは、自身の志や情熱の火が消えないよう確認し続けていたともいえるのではないでしょうか。

卒塾生の皆様も、お気に入りの公園や寺社仏閣、ミュージアム等々、そこを訪れたり観たりすると事業にかける志や夢を思い出し、ともすれば折れそうになる心を叱咤激励し前進させてくれる場を持たれてはいかがでしょうか。そして、卒塾時に立てた志を確認し続けて頂ければ幸いです。

(記事担当:永島 寿/2022年12月作成)

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