【理念継承 わが社の場合】ここでは、会社の健全な成長という視点で同族経営から脱皮し、経営者としての意思と意欲のある人材に継承した、同塾塾生の企業事例をご紹介します。
◆創業家から巣立つ事業継承(1)からの続き
理念継承 わが社の場合
名実ともに同族経営から脱皮する
社長の秀明さんは、蒲田道具屋に関しては店長の鈴木さんにすべてを任せ、細かいことにはいっさい口出しをしなかった。責任と権限がセットであることは言うまでもないが、加えて、店のお金に関して違算が皆無であったことが大きい。鈴木さんは、自分が経営者として信頼されるかどうかは、お金に間違いがないことが前提であると考えていた。その姿勢を見て、秀明さんは安心して鈴木さんに蒲田道具屋を任せることができたのである。
三年ほどたって蒲田道具屋が軌道に乗ると、鈴木さんは本社に戻り、新しい店舗の出店準備に追われる日々を過ごす。蒲田に続いて、板橋(板橋区)、成増(板橋区)、鹿浜(足立区)、奥戸(葛飾区)、大島(江東区)、都筑(横浜市都筑区)と出店を加速。國貞・道具屋グループ発展の中心となって動いてきた。このことが、やがて鈴木さんが秀明社長の後継者として認められ、三代目社長に就任する原動力となったと思われる。
中小企業の場合、創業家の血縁が代々経営を引き継いでいくというケースはめずらしくない。むしろ日本社会の慣習としては、そのほうが当たり前と考えられているといってもよい。渋木家にもそれにあたる人物はいる。
しかし、秀明さんは当初から同族という理由だけで後継者を選ぶつもりはなかった。それは、経営者というものは、他人から「やれ」と言われてやる仕事ではなく、みずからの意思で「やる」と決意する人がやるべきだ、と考えていたからである。たしかに、出来レースのようなことをやっていたら、社員のモチベーションは上がらない。
「がんばれば社長にだってなれるかもしれない。そう思えれば、やる気のある人はチャレンジして能力を発揮してくれるはずです。そうでないと、これからの時代はやっていけません。小さな会社だからこそ、そこで働く人が夢を持てるようにしたいんです」
株式についても、創業家が持ち続けるのではなく、すでに半分以上は鈴木さんが持つようになった。創業家の雇われ社長ではなく、名実ともに経営者が裁量を持ち、同時に責任を引き受けるのが妥当だと秀明さんは考えたからだ。
「國貞のような会社が、たとえば借り入れをしようとしたら、代表取締役が連帯保証人にならなければなりません。自分の会社じゃなければ、身代懸けて勝負に打って出るようなことはできませんから」
事業継承は、企業、とくに中小企業にとって、最も悩ましい課題である。政治家に対しては厳しい世襲批判の声が上がっているが、世間一般では、まだまだ親の事業を子が引き継ぐということは普通に行われている。
会社を「公器」と考えるならば、血縁を条件とした事業継承は疑問の余地があるだろう。だれにでもオープンであり、かつフェアな評価に基づく継承は、政治の世界だけでなく、企業においても求められるべき姿なのではないだろうか。もっとも、その前提として、同族以外の者がやりたいと手を挙げるだけの魅力的な会社になっていることと、やりたいと思う人材が育っている必要があるのだが。
鈴木さんが社長に就任してから、秀明さんは、会長、相談役、顧問と、徐々に経営の第一線から身を引くと同時に、会社に頼らなくても収入を得られるように手を打ってきたという。「いつまでもぶら下がって甘い汁を吸おうという輩がいれば、うちのような小さな会社はすぐにダメになってしまう」からだ。
これまでの延長線上でものごとを考えていればよい時代は過ぎた。生き残るためには常に新たなチャレンジが必要とされる今、固定化した既得権益を生じさせないことは、企業の健全な成長に不可欠な要素である。
アットホームな社風と創業家に縛られない世代交代
國貞は、アットホームなところが魅力の会社だと言われている。確かに社内では、役職に関係なくお互いを「さん付け」で呼び合う風通しのよい雰囲気がある。それだけではなく、会社設立のころから、秀明さんたちは社内用の別名、今でいうビジネスネームを使っていた。当時は家族経営みたいなものだったから、社長も専務も経理担当も、みんな渋木。「渋木さん」が社内に何人もいた。どの渋木かいちいち説明するのが面倒だったし、かといって「社長」とか「専務」などと肩書で呼ぶのも仰々しい。というわけで、秀明さんは、自分のことを「片岡」と名乗ることにしたのだ。以来、それで通していたら社内外で浸透し、今ではみんな「片岡さん」だと思っている。
別名は強制ではないが、國貞では名乗りたい名前があれば、他の社員と重複しない限り、好きな名前を名乗ってよいことになっている。とくに同姓の社員がいる場合は、お互いを区別するためにも別名をつけることが推奨されている。社長の鈴木さんも、「和田さん」である。この「和田さん」の名刺には代表取締役という肩書もない。立場の違いによって要らざる気づかいをする必要がなく、國貞のアットホームな雰囲気をさらに後押しすることになっているようだ。鈴木さんは、長年のあいだに國貞に醸成されてきたこのよき社風を、これからも受け継いでいきたいと心に決めている。
役職にとらわれないアットホームな社風と、創業家や歴代経営者の束縛から自由な世代交代が、他の企業にはない國貞の特長といえる。株式会社國貞は、今まさに創業家から巣立とうとしている。その転換点ターニング・ポイントを垣間見た思いがした。
(おわり)
◆『PHPビジネスレビュー松下幸之助塾』2013年3・4月号より