松下幸之助は昭和25(1950)年7月17日、PHP活動を月刊誌『PHP』発行のみにとどめることを発表し、同年8月1日をもって初期PHP友の会本部はPHP研究所に吸収される形で消滅しました。

 その後は大阪府議会議員の館種子(やかた・たねこ)氏や私立幼稚園園長のツカダ・キタロー氏などが、個人で友の会会員としての活動を続けました。奈良県桜井市の歯科医師・伯田五六(はかた・ごろう)氏によって昭和23(1948)年11月に結成された奈良県支部は、昭和42(1967)年12月時点でなお組織的な活動を行なっていました(録音№4235A)。


 昭和49(1974)年4月、「友の会結成諸準備」(49-4-16)(※1)が始まったという記録があります。「かねてより、PHP友の会の結成について読者の皆様から強い要望がありましたが、来期第14期(昭和49年10月~50年9月)より正式にスタートするはこびとなりました」と書かれており、「豊かな心をはぐくむ運動 ―君も貴方も人間同志―」というスローガンが決まりました。同年10月の運営方針発表会では、その計画が発表されています(49-10-7)。


 昭和50(1975)年3月から友の会の結成準備は、「総合企画室」が行なうことになり、以下のような活動が行なわれました。


 4月、自主的に活動を始めていた宮城県亘理郡亘理町逢隈地区の「PHP&コーラス友の会」、「会津ナショナル製販」を訪問(50-4-3)
 5月、「書店友の会」が結成可能か実験活動(50-5-1)
 6月、山岡寛章氏(読者サークル運営の権威)と読売ブッククラブを訪問(50-6-7)
 7月、「趣意書」「規約」「活動の手引書」の原案を作成(50-7-3)
 12月、「趣意書」「手引書」「結成届」「会員名簿」が完成(50-12-3)


 予定より4カ月ほど遅れて、昭和51(1976)年1月15日に事務局の責任者が着任し、翌16日東京のホテルオークラで幸之助に活動を開始する旨を報告しています(51-2-17)。同年2月2日に本部事務局が開設され、活動が開始されました。



1)昭和49年『PHP研究所所誌』4月16頁。以下、(49-4-16)と記述します。