昭和52(1977)年12月10日、月刊誌『Voice』が創刊されました。同年6月1日付で準備が始まった記録があります(※1)。6月8日に第1回企画案打合せが行われ、発行部数は「創刊号10万部、2号から8万部keep」、読者対象は「35±10歳」とされました。
7月24日、ホテルニューオータニで山崎正和、高坂正堯、岡崎久彦各氏による座談会が開かれるなど(52-7-13)、対談や取材が行なわれ、10月20日を締め切りとして原稿が集められました(52-10-9)。11月26日に見本誌ができています(52-11-9)。
発売日の前日、12月9日にPHP研究所京都本部に当時あった体育館で「創刊決起大会」が開催されています(52-12-16、録音№5238)。松下幸之助は出席しておらず、代表で登壇した責任者が「松下所長の『Voice』にかける思いというものはたいへんなもの」と述べ、毎日のように電話で指示があったことを紹介しています。当時、年間150種類の雑誌が創刊されているとか、『Voice』は当初の予定を大幅に上回る33万部が印刷されたことなども紹介しました。決起大会は、編集長や営業担当者などが挨拶した後、ダルマの左目を書き入れ、万歳三唱で締めくくられています。
発行日前から1日ごとに主要な新聞で大きく広告が掲載されたほか(写真)、12月5日から15日にかけて札幌、東京、名古屋、大阪、九州各地区で電車内に広告が掲示されています(52-12-5)。これを機会として、『私の夢・日本の夢 21世紀の日本』『続・道をひらく』も新聞広告を出しました。反響を受け、12月23日、ホテルオークラで「第1回『Voice』検討会」が実施され、牛尾治朗氏など有識者7名が登壇しています(52-12-9)。
1)昭和52年『PHP研究所所誌』6月13頁。以下、(52-6-13)と記述します。