昭和52(1977)年12月10日、月刊誌『Voice』が創刊され、松下幸之助は「21世紀をめざして」を連載しました。昭和53(1978)年7月号掲載の「日本を税金のいらない国に」で初めて無税国家論を発表しており、それまでの「大減税」の主張から一歩進んだ構想となりました。

 この無税国家論について、幸之助が所員と懇談しながら発案した音声が残っています(録音№5305)。同年2月18日、松下電器の社宅において原稿の校閲をした後、幸之助は「明治初年から政府が国費の一割を貯金しとったら、今頃は何十兆円や」と言っています。「ちょうど油(=オイルショック)の時に、国民に全員分(の備蓄を)やった」と言っており、オイルショックの反省から国民全員の石油消費量90日分を備蓄することが法律で義務づけられたことを引き合いに出しています。同様に国費の一部を貯め続けることで、やがてその利子によって国費を賄うことができるという無税国家論を発案したようです。


 同年5月2日、フランスのテレビ局が京都東山山麓の別邸・真々庵を訪れて取材しました(録音№5317)。前半は幸之助のインタビューで、後半は研究会の模様を撮影しています。研究会では、幸之助は研究員に対して「無税国家への道を、まあひとつテーマに取り上げて、これ、研究を始めようと思うんです」と説明しました。ある研究員はこの時に初めて聞いたようで、少し戸惑いながら、どのような構想なのか質問しています。幸之助は「国民がその気になったら、政府がその気になったらできるわけや」と述べつつ、「まあ皆さん、『ん?』と思うわな」と笑いを誘いました。


 その後の研究会では、明治の初年から国費の1割を貯金したとしても、無税国家になるには大幅に足りなかったことが判明しています(※1)。以後、無税国家論は過去にも可能だったという解釈をせず、あくまで未来の構想として提唱されることになりました。



1)動画№ODA579033、昭和54(1979)年4月21日「無税国家に関する検討会」より。