マレーシア松下電器(現・パナソニック マニュファクチャリング マレーシア/Panasonic Manufacturing Malaysia Berhad)は、現地資本のハーゲマイヤー・トレーディング社との合弁で昭和40(1965)年に設立されました(※1)。翌年には現地政府の要請で株式を上場しており、海外の松下電器では初の上場企業となりました(※2)。

 昭和54(1979)年2月15日の夜、松下幸之助は髙橋荒太郎・松下電器顧問(当時)と共に首都のクアラルンプールに到着しました。翌16日、「マレーシアにおける投資促進、貿易の強化、技術の導入、そしてPHP活動を通じて人類の繁栄と平和に貢献した功績」を称えられ、民間人に与えられる最高勲章「パングリマ・マンク・ネガラ勲章」と、伯爵に相当する「タン・スリ」の爵位が授与されています。首相官邸において、フセイン・オン首相(当時)から直々に贈られ(写真)、同日の夜、クアラルンプール・ヒルトンホテルにて、名士300名を招待して叙勲謝恩パーティーが開かれました(動画№ODA579006)。


 翌17日は、マレーシアの松下各社を訪問し、熱烈な歓迎を受けています。いずれの場所でも、小太鼓を打ち鳴らし、赤い絨毯の上に花びらをまくという、当地における最上級の貴人の迎え方でした(写真)。

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赤い絨毯の上を歩く幸之助


 夜には、ヒルトンホテルで関係6社主催のパーティーが開かれています。幸之助は、「これからの発展していく国はアジアやと思う」「その中心をなすものは、私はむしろマレーシアやないかと思う」と述べました。その繁栄が実現される21世紀まで生きると宣言し、「みなさんも先、死んだらあかんで」と言うと、会場には大きな笑いと拍手が起こりました(録音№1729)。



1)松下電器産業社史室編『社史 松下電器 変革の三十年 1978-2007』(松下電器産業、2008年)「海外事業史」127頁。


2)同上125頁。