PHP研究所は、最初期において「懇談会」を活発に開催しました。その様子は『懇談会記録綴』と題する資料によって詳細を知ることができます。
松下幸之助が日本をどのように再建すべきか講話をし、その内容を受けて聴衆と質疑応答するというかたちで行われたもので、松下電器本社の第一会議室を中心に各地で開催されました。
「懇談会」では、最初の1カ月ほどのあいだ、PHP研究所から土産品を持参し、参加者に提供していました。その土産品として定番のように記録されているのが「探見ケース」です。『記録綴』には、「20本」(昭和21〔1946〕年12月11日、第17回懇談会)などと記されており、同年12月4日、第10回懇談会では「探見ケース」と「4.5V電池」が土産品として記録されています。
同年12月16日、第24回懇談会を最後に、土産品の持参は廃止となりました。しかし、その後も散発的に持参されることがあり、翌昭和22(1947)年1月23日、第45回懇談会では、同じものなのか「探見燈」が土産品として持参されました。
戦前の昭和13(1938)年に松下電器が作成した『松下電器全製品型録』によれば、「探見ケース」とは、懐中電灯のことだったと確認できます(※1)。終戦直後は停電が多かったため、懐中電灯の贈呈が喜ばれていたようです。
1)松下電器産業株式会社編・発行『松下電器全製品型録』(1938年)B‐17~18頁。このカタログには11種類の「探見ケース」が記載されています。