昭和25(1950)年8月以降、活動を主に月刊誌『PHP』発行のみに留めていたPHP研究所は、松下幸之助が松下電器社長を退いた後、昭和36(1961)年8月18日に研究活動を再開しました。朝8時から京都市東山山麓、南禅寺に隣接した真々庵で開所式と第1回朝食会が行われています。

 

 出席者は、幸之助と茶人の矢野宗粋氏のほか、所員は11名が記録に残っています(業務日誌)。また、松下電器産業本社から秘書が出席し、弘報課の社員がカメラと8ミリカメラによる記録を担当しました。その他、「調度品類の飾付に来所」として、骨董商の善田昌運堂から「善田(正夫)様、他2名」と記録され、この日が初出勤であった所員がいたほか、5月1日に入所して開所式を待たずに8月15日で「円満退所」した所員もいました(PHP研究所誌)。

 

 当日、所員は全員朝7時30分に真々庵に集合し、7時50分、幸之助が到着しています。本座敷に集合して錦茂男所員による開式の辞のあと、全員で起立して「東方を合掌遙拝」(PHP研究所誌)、着席して幸之助の「告辞」がありました(※1)。幸之助は、初期PHP活動の「趣意書」を読み上げ、苦しんだり悲しんだりせずに、「踊るが如く舞うが如く」、PHP研究を進めたいと言いました。これを受けて、錦所員が代表して「答辞」を述べ、祝電や松下電器役員一同から贈られたビール3ダースなど祝い品が紹介され、万歳三唱を唱え、9時40分に式が終了しています。

 

 引き続き、第1回朝食会が催され、梅干しの入ったおにぎりが振る舞われました(写真)。幸之助は、このおにぎりについて、「『治にいて乱を忘れず』のたとえ通り、いかなる事態にも対処する心構えを養う意味において、この意義ある味を味わって頂きたい」と言っています(PHP研究所誌)。最後に記念撮影が行われ、朝10時にこの日の全日程が終了しました。

 


 

1)以下の様子は、《速記録》№269に所収。