真々庵において、昭和37(1962)年4月18日、根源社(こんげんのやしろ・写真)の完成を記念して、建立の式典が挙行されました。松下幸之助は、伊勢神宮の内宮の正殿と同じ意匠でつくられたこの社に当日初めて参拝しています。

 幸之助は、朝7時43分に来庵し、座敷においてヒノキの板に「根源」の文字を墨書しました(※1)。8時に所員全員が根源の社の前に集合し、当日はあいにくの雨だったので、供物と参列者の上に天幕を張って式に臨んでいます。

 

 式典は、「身そぎ」「開式のことば」「東方遙拝合掌」「清浄の儀」、毎日のことばの斉唱の順で行われ、「根源拝礼の式典のことば」が読み上げられました。この「ことば」は、「私どもが今日ここにあるのは、幾万代にもわたる遠い祖先のつながりがあったためであり、しかもその祖先の極限は、宇宙の根源から発している」と述べ、「根源に対する祈念は同時に祖先への祈念になる」としています。「常にその存在を忘れず、感謝と祈念のまことをささげるためにその象徴として、ここにこの社を設けた」とし、社への拝礼を怠らないことによって、「自分自身が新しく見直されて、次第に人間本来の姿が自覚できるようになる」と説かれました。これはだれが読み上げたのか、記録には残っていません(※2)。

 

 続いて、「根源」と書かれた「根源牌」が奉納され、「宇宙の根源に対する感謝と喜びのことば」が読み上げられました。これは、「根源拝礼の式典のことば」を要約したような文章になっており、「この風光すぐれた山紫水明の地を得て、意義あるPHPの仕事にたずさわることに深い喜びをおぼえます」と述べています。これも読み上げた人は不明です。

 

 最後に「玉串奉奠」「合掌祈念」、幸之助による「所長告辞」、所員代表による「答辞」があり、もう一度毎日のことばを斉唱して「閉式のことば」がありました。このあと、第9回朝食会が行われ、いつもはおにぎりか、おかゆが中心の質素な食事であったのに対し、この日は特別に赤飯と鯛がふるまわれています(PHP研究所誌)。

 


 

1)幸之助が書き入れた時間は『業務日誌№2自昭和37年3月13日至昭和37年10月8日』34頁より。これがヒノキの板で、墨書であった旨は、『PHP研究所誌』(昭和36~41〔1961~1966〕年版)44頁。式典の式次第や読み上げられた「ことば」は、これらの資料に記載されています。
2)『業務日誌』などに記載がないだけではなく、録音も残されていません。