松下幸之助は、昭和38(1963)年になると各種セミナーで講演する機会が増えました。それまでは「わしは学者じゃないから話ならいいけどゼミナールは好かん」と言っていましたが(※1)、次第に自身の経験を若手経営者のために語る機会を持つようになり、多忙なスケジュールの合間をぬって産業界の後輩の育成に尽力した様子が記録に残っています。
昭和38(1963)年2月7日、和歌山県白浜町のホテル・パシフィック(現ホテルグリーンヒル白浜)で開催された生産性本部主催「第1回関西財界セミナー」では、「日本の経営者概論」という題で講演をしました。幸之助はPHP研究所で研究員と共に、この時の録音(№401)を同月9、14日の2日間にわたって聴取しています(研究日誌)。
同年7月14、15日には、軽井沢の晴山ホテル(現軽井沢プリンスホテル)において「生産性セミナー」が開催され、幸之助は15日に講演をしました(録音№451)。8月14日にも京都商工会議所主催、住友銀行協賛、毎日新聞社後援で「経営相談のできる経営づくりセミナー」が京都関電ホールにて開催、「経営者の皆さんにおすすめしたいこと」という題で話をしています(録音№454、上写真)。8月21日には比叡山ホテル(現ロテルド比叡)における「日本青年会議所セミナー」(録音№456)で、10月17日には京都新聞文化ホールで開かれた京都中央信用金庫主催の「第3回杉の子大会」(録音№470・下写真)でそれぞれ講演をしました。
昭和38年10月17日
「第3回杉の子大会」における講演
また、翌昭和39(1964)年2月12日から白浜町で開かれた「第2回関西財界セミナー」は、念入りに準備をした様子が『研究日誌』に記録されています。まず同年1月23日に、「白浜セミナー講演テーマ検討」という記録があり、1月25日に「白浜セミテーマ決定」となりました。2月4日に講演録をまとめた『松下幸之助講演集 第三集』の校閲が終って、「2/12の白浜セミに出すこと」と決められています。一度決定されたテーマは2月11日に再度検討されることになり、「開放経済下における経済人の視野と経営のあり方」「経営の合理化、とくに経営の適正規模」「企業の社会性と利潤の見方」などについて取り上げると決められました。2月13日、幸之助はホテル・パシフィックで話をし、聴衆の熱心な質問に応答しています(松下幸之助発言集2、録音№510)。
1)服部俊昭「師の面影をおもう」『松苑 松下幸之助創業者とともに』(松下電器客員会発行、2003年)153頁。服部氏は、幸之助が松下電器会長をしていたころの秘書でした。