PHP研究所は、昭和39(1964)年7月24日、『日本経済新聞』に「税金の適正化を望む」という広告を掲載しました(上写真)。同年8月1日にも『日刊工業新聞』に同じ広告が掲載されていて、新聞の1面全段を使って社会的意見を述べる方法は、当時の日本においてまったく初めての試みでした。
昭和39(1964)年3月7日、PHP研究所で「租税の適正」について討議がなされ、「国家繁栄の為に租税の適正化を望むというテーマで新聞に広告を出したらどうか」と松下幸之助が提案しました(研究日誌)。この時は昭和24(1949)年作成の「PHPのことば その13 租税の適正」を参考に「文案を考えておくこと」と決められています。検討の結果3月14日に、「税金の広告文案」は「良」という判断になりました(研究日誌)。
同日、月刊誌『PHP』に掲載する「税に思う」(※1)の原稿校閲がなされ、「もう一度検討して、誤解をうけやすいところ、悪いところは訂正しておくこと」と幸之助が指示を出しています。その後は記録がないため詳しい経緯は不明ですが、一度は「良」という判断を得た広告文案は再度検討されることになり、最終的には「『税に思う』の一文に基づくもの」として新聞に掲載されています(※2)。
広告の反響について、株式会社市場調査社が次のような結果をまとめました(※3)。
大阪と東京で、反応に大きな差はありませんでした。大阪における調査は報告書が現存しています(下写真)。一方で広告には、PHP研究所についての説明がまったくなかったため、「主旨も内容も穏当」としながら、「何か不安な感じがした」という意見もあり、なかには「革新派の政府攻撃かと思われる」のではないかと懸念する人もいたようです。
大阪における調査結果
(大きさは約26×36センチ、全15頁)
『PHP』誌上では、「時事通信・税務経理版8月1日号」からの引用として、田中角栄・大蔵大臣(当時)の反応も紹介されています。「松下氏がさきに、池田首相とテレビで税金問題について対談した時も、かなり好評のようだったし、今後ともこうした世の識者の声が出ることを期待している」(※4)と述べ、「四分の一ページでもいいから主要新聞数紙に出した方がより効果的ではなかったか」とか、「一日かぎりの広告ではなく、物語り風に書いて連載する」方法も提案していました。
1)『PHP』第191号(昭和39〔1964〕年4月号)94~100頁に掲載。
2)『PHP』第197号(昭和39〔1964〕年10月号)85頁。「PHPのことば」と広告の文面を比較すると、同程度の文字数で共に三段落の構成であり、もっとも異なるのは、以下のとおり三段落目でした。
「PHPのことば」その13の三段落目
「為政者は国費の合理化に意を用い、低率の税金でも国庫の収入が増大する道を工夫しなければなりません。そこに国家繁栄の基があります」
広告「税金の適正化を望む」の三段落目
「政治の衝に当たる方がたは、政治の生産性を高めるとともに、低率の税金でも、税収を増大する道を工夫し、国家の繁栄と国民の幸福をはかられるよう、切望いたします」
3)同上89頁。
4)同上90頁。