PHP研究所は、昭和43(1968)年、月刊誌『PHP』を社会へ広く普及するため、区域を定めて1軒残らず訪問する「軒なみ作戦」と呼ばれる営業方法を採りました。頭文字を取って「N作戦」と記している資料もあります。
軒なみ作戦は、回を重ねるごとに訪問の方法が確立されていきました。今日、「軒なみ作戦について」(上写真〈※1〉)と題する資料があることで、どのような方法を取っていたのかが分かります。
まず、軒なみ作戦の趣旨については、「PHPを一人でも多くの人に知っていただき、PHPを一人でも多くの人に読んでいただくために、軒なみに説明、お勧めをしてまわる」としています。『PHP』は当時1冊50円で、1回ごとに出張費150円が支給されました。
訪問は、PHP研究所を朝9時30分に出発、16時30分に帰着と決められ、時間内に1軒でも多く回るとされました。区域は、例えば「京都市、四条通り北側」「高槻駅前商店街」など、あらかじめ決められていて、2人1組で1軒残らず飛び込み営業を行ってます。
1時間当たり6~8軒を目安としており、参加したほとんどの所員はそれまで営業の経験がなかったようです。男性所員のみならず、女性所員も一部参加し、松下幸之助の名前は所員のほうから積極的に言わないことがルールでした。1軒ごとの訪問結果は短いレポートにまとめられ、さらにそれらを総括したレポートも作成されています。
最初に訪問できたところは1週間おきにさらに2回、合計3回訪問することにしていました。1回目の訪問は、『PHP』を見本として渡すことを主眼とし、雑誌とPHP研究所の説明を10分以内に行い、1週間後にまた訪問する旨を伝えています。2回目の訪問は、読んでいただいた方には感想をお聞きし、購読を勧めることに重点が置かれました。1回目で門前払いだったところも再度訪問しており、3回目は2回目と同じ要領としています。最後に一括してお礼状を発送していて、文面から判断すると、購読の申し込みがあった人にだけ送付したようです。文面はあらかじめ印刷してあり、署名は幸之助の名前を使わず、当時の研究部長の名前にしていました。
1)資料によって「軒並作戦」「軒並み作戦」と記述されていますが、この資料は「軒なみ作戦」としているので、表記はこれに従いました。