月刊誌『PHP』は一時期、自動販売機によって普及されたことがありました。昭和41(1966)年5月ごろ、大阪梅田・阪神百貨店の「電化センター」に第1号機が設置されています(右写真)。『松下電器社内時報』は、「木目調の美しい自動販売機はまもなく、電化センターの人気ものになることだろうと期待されています」と報道しました。
この販売機は「電化センター」に設置されましたが、動力は電気ではなく、ダイヤルを回すことによる手動式だったようです。松下電器が販売機を試作しており、PHP研究所としては、販売実験に協力する形で月刊誌を販売しました。
月刊誌の販売成績が予想以上に良かったため、同年10月、全日空伊丹営業所に第2号機が設置されました。当時の社内報『普及ウィークリー』は、「自動販売機=快調!!」(同19-3)と記述しており、2台の自動販売機の販売冊数を表にすると以下のとおりです。
しかし、昭和42(1967)年2月13日をもって自動販売機による展開は終了となりました(同31-8)。資料ファイル『普及部通達』には同年3月28日、PHP研究所の所員が「松下電器研究部工法開発課」宛てに書いた「PHP誌自動販売機製造に関する件」という書類が残っています。これによると、販売機は同年から流通が始まった新硬貨、つまり現在一般に流通している100円硬貨と50円硬貨に対応しておらず、旧硬貨で設計されたものでした。新硬貨に対応する機械は新たに設計し直さなければならず、また、販売機のメンテナンスは松下電器が行なっていて、負担が大きかったようです。
PHP研究所では、販売機を新たに発注することも検討したようですが、松下電器が試作機の製作と実験を中止したことで、この普及方法も取りやめとなりました。