英語版『PHP』誌の創刊に向けてPHP研究所に国際部が設置されたのは、昭和44(1969)年5月10日でした。担当として3名が記録に残っています。5月26日、京都本部3階会議室にて「国際部の新発足を祝い、激励する合同職場懇談会」が開かれました(PHP研究所所誌、以下同)。


 9カ月余りの活動を経て国際部は東京へ移転することとなり、翌昭和45(1970)年2月28日、送別会が「聖護院の河道屋」にて開かれました。3月11日、世界貿易センタービルの30階に「国際版編集局」が開局し、松下幸之助も出席して「さゝやかな開局式を新オフィスである世界貿易センタービル30階で1時間にわたって行ないました」と記録されています。

 創刊号に先立ち、英語版『PHP』誌の「見本版」がまず4月に1万部で発行されました。5月8日、幸之助夫妻が再び編集局を訪れてスピーチをした記録があります。

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英語版『PHP』誌見本版


 創刊号は8月8日に納入が開始され、8月11日に発送を開始、「5回に分けて計14,686部発送」しました。
 9月には「3万部増刷済」となり、9月末の時点で4万9,223部が普及されており、国内が1万8,047部、海外が3万1,176部でした。

 幸之助を交えて9月8日には、編集会議がPHP研究所京都本部で改めて開かれ、特集テーマ、広告、原価などの検討を行ないました。
 以後、幸之助は海外の知識人との対談を熱心に行うなど、その視線は海外へ向けられるようになります。