リヒャルト・クーデンホーフ=カレルギー氏(Richard Coudenhove-Kalergi・写真)は昭和45(1970)年10月23日、夫婦で京都東山山麓の真々庵に来庵しました(速記録№1221A、松下幸之助発言集14)。母親が日本人で、本人も明治27(1894)年に東京で生まれており、日本名「青山栄次郎」と名乗ることもありました。しかし日本語は話せず、松下幸之助とは英語の通訳を介して会話しています。
クーデンホーフ=カレルギー氏は、オーストリアの貴族(伯爵)であり、ヨーロッパ連合(EU)の原型とも言える理念を第一次世界大戦後に提唱したことで知られています。当初はフランスやドイツなど、大陸ヨーロッパ諸国が植民地も含めて統合する構想であり、イギリス連邦、ロシア連邦、アメリカ合衆国と対等に渡りあう第4の勢力になる意図がありました。
クーデンホーフ=カレルギー氏が言うには、昭和11(1936)年に松下電器の中尾哲二郎氏が技術留学のためにヨーロッパに渡った際、神戸からニューヨークまでクーデンホーフ=カレルギー氏の父が同じ船に乗っていたとのことです。幸之助は「世間は広いようで狭い」と言っています。
日本は一つの大陸であると述べたり、時差のない「世界時間」を提唱したり、ヨーロッパに仏教と儒教を布教したいと述べたりするなど、クーデンホーフ=カレルギー氏は多くのユニークな構想を披露していました。対談の終盤に幸之助は新しい人間観が必要だと持論を展開して、宗教によって人間観が確立されるのではなく、新しい人間観に基づいて宗教を見ることが必要だと主張しています。クーデンホーフ=カレルギー氏は好意的な反応を見せ、対談の内容は日本語版の『PHP』誌昭和46(1971)年2月第273号に掲載されました。
対談後に皆で真々庵の庭を散策しました。当時の最新技術であった小型録音機とカセットテープで録音しており、池の鯉に餌をやりながら談笑した音声が残っています。