フランスの社会学者・哲学者であったレイモン・アロン氏(Raymond Aron・写真)は、昭和45(1970)年10月24日に京都東山山麓の真々庵に来庵して松下幸之助と対談しました(速記録№1221B)。フランス語の通訳2名が同伴しています。


 アロン氏は明治38(1905)年パリ生まれ、ベルサイユ育ちのユダヤ人です。第二次世界大戦中はイギリスへの亡命を余儀なくされ、戦後は中道右派の論客として活躍し、マルクス主義を「知識人のアヘン」と批判して脚光を浴びました。

 対談では、世界各国における経済成長がもたらした問題点や、精神的な豊かさも向上させる必要性、ヨーロッパ政治の見通しなど、アロン氏がより多くを語りました。日本の問題点は政治にあると主張するアロン氏に対して幸之助は積極的に質問し、その見識に強い関心を示しています。幸之助は持論である新しい人間観について主張したところ、アロン氏は結論を急がずに、まずはこのテーマについてよく考えたいと言いました。学者と実業家で立場の違いが浮き彫りになり、その違いがあることこそ興味深いと両者は共感しています。

 終了の時間となった際、アロン氏は良い対談とはいつまでも会話が続きそうな雰囲気で終わるものだと述べて、場の雰囲気を和ませました。幸之助は大変に満足し、この対談を翌年の『PHP』誌1月第272号に掲載したいと言っています。アロン氏は即答で了承していますが、日本語版にも英文版にも記事は掲載されていません。録音状態が非常に悪く、当時の再生技術では聞き取り不可能な部分が多かったため、掲載は中止になったと思われます。

 その後、茶室に場所を移し、パリの学生運動に教師が参加していたことを批判するなど、2人はさらに一致点が増えました。意気投合して、パリでの再会を約束しています(※1)。対談はカセットテープで録音されており、幸之助は小型録音機の説明もしていて、土産として同種の機器をプレゼントしたようです。

 それまでも海外の知識人として、歴史学者のアーノルド・J・トインビー氏、神父のアベ・ピエール氏、歴史哲学者のルイス・ディエス・デル・コラール氏などが真々庵や松下電器本社に招かれ、対談が行なわれました。これまでは人間観について必ずしも話題に上りませんでしたが、昭和45年10月に行なわれた海外の知識人との対談は、新しい人間観について幸之助が積極的に持論を述べ、批評を求めたことが特徴だったと言えます(※2)。


1)次回はアロン氏が幸之助をパリでもてなすと約束していますが、実際に再会できたかどうかは不明です。
2)昭和36(1961)年10月17日、松下電子工業で行なわれた社会学者のデイヴィッド・リースマン氏との対談では、幸之助は積極的に人間観について持論を述べていました(速記録№283)。しかし反応が悪く、「かなり有名な学者であるが私の質問に対して、適切な答えがあまりなく、少しがっかりする」(『松下会長日誌』10頁)と書いており、以後しばらくは人間観に関する発言を控えていたようです。リースマンと幸之助の面会は、リースマン夫妻『日本日記』(みすず書房、1969年)70頁以降に掲載されており、幸之助については「音山電気」の「音山社長」として仮名で記されています。