松下幸之助は昭和47(1972)年8月1日に『人間を考える』を発刊しました。『人間を考える』には、さまざまな書評が寄せられ、中でも幸之助は哲学者の谷川徹三氏(1895-1989・写真)について、特に触れたことがありました。
昭和47(1972)年5月10日、真々庵で行われた千宗室(現・千玄室)氏との対談で、幸之助は「あの方(=谷川氏)にも読んでもらったんです」「そうしたらね、賛成してくれはってね」と言っており、千氏が「谷川先生はもう、それはもう一番偉い人じゃないですか」と応じています(※1)。昭和50(1975)年6月3日『週刊朝日』の取材でも、幸之助は「谷川徹三とかね、あんな人が(誉めてくれた)」と述べました(速記録№1448)。
谷川氏は「自分の哲学の仕上げ」と題した寸評(写真)で、「哲学は哲学者の独占物ではない」という立場から「普遍的な意義をもったこういうものを書かれたことに私は敬意を表する」「こういうものを書かずにいられなかったところに、松下さんの事業を今日までにした、松下さんという一人の人間の秘密がある」と書いていました(※2)。
谷川徹三の直筆原稿
谷川徹三氏は詩人・谷川俊太郎氏の父であり、京都帝国大学で哲学者の西田幾多郎に師事し、法政大学文学部長、同大学総長を歴任しています。初期のPHP活動にも参加しており、昭和22(1947)年11月発行の『PHP』第8号掲載の座談会「豊かな社会をつくる為に」は、谷川氏を含む5人の有識者が集まりました。谷川氏はこのなかで「ヒューマニズムは問題の解決でなしに土台でなければなりません。この基礎がなければあらゆる解決も空中楼閣になります」と主張していました(※3)。
谷川氏は以前から「哲学というものを、いわゆる哲学者の書いたもののなかだけに見ちゃいけない」と述べ(※4)、哲学研究者ではない人による哲学を推奨していました。『人間を考える』に賛同したのは、自身の唱えるヒューマニズムと通ずるものであったと共に、長年求めてきた"哲学研究者ではない人による哲学"が発表されたという意味も大きかったようです。PHP研究所に対しては、イギリスの数学者・哲学者で、社会活動家でもあったバートランド・ラッセル卿が幸之助の理念に近いと述べ、「一度参考の為にラッセルについて研究されるのも良いと思われます」と指南しています(※5)。
1)録音№1301。松下幸之助・千宗室『物とこころ』(読売新聞社、1973年)を制作するための対談でした。
2)初版『人間を考える』(PHP研究所、1972年)150~151頁。
3)『PHP』第8号11頁。この座談会は、いつどこで催されたのか、『PHP』誌上に記載がなく、その他の資料にも記録が見当たりません。出席者の顔ぶれから東京で昭和22(1947)年夏ごろに催されたと思われます。
4)日本ヒューマニスト協会編『現代ヒューマニズムの史的展開』(宝文館、1956年)69~70頁。日本ヒューマニスト協会によるシンポジウムでの発言。このシンポジウムがいつどこで開催されたのか記載がありませんが、昭和30(1955)年ごろ東京で催されたと考えられます。
5)PHP研究所経営理念研究本部所蔵『人間を考える推せん文1』ファイルより。