松下幸之助は昭和47(1972)年8月1日に『人間を考える』を発刊しました。発刊の日にPHP研究所に来所し、所員に講話をしています(※1)。

 その際、幸之助は錦茂男所長が半年間「雲水修行」に出ると説明しました。錦所長と相談して、もう一度PHP研究所の原点に返ろうと考え、「これはPHPとしても非常に大事なことやと、これは一人錦君だけやなくね、みんなが意識を得てそういうことをやってみたらいいと思いますね。今はそういう余裕もないからね、まず錦君に先やってもらう」と言っています。


 この場では「雲水修行」が具体的に何を指すのか説明しませんでしたが、発刊を受けて松下電器社内で『人間を考える』についての勉強会が多数開催されました。錦所長は、勉強会に出席するため各所を回っており、「雲水修行」とはこれを指していたようです。


 勉強会は8月26日、松下電器教育訓練センターが松下電器歴史館で開催した「第1回『人間を考える』読後懇談会」が皮切りでした(※2)。その後は松下電器各事業場や営業所、松下電器商学院や工学院、東京ナショナル学園など教育機関でも開かれています。教育訓練センター主催で『人間を考える』に関する「土曜講座」が松下電器歴史館において毎週開催され、7カ月でのべ数百人が出席しました。


 自主的な勉強会はほとんど就業時間外に行われ、平日の夕方5時から2~3時間の場合が多く、土曜日に丸一日かけて開かれたこともありました。若い社員は、夜8時から泊まり込みで勉強会をしたこともあり、勉強会に出席した社員は平均して『人間を考える』を4~5回は読んでいたとのことです。


 錦所長を含むPHP研究所の研究員は、昭和48(1973)年3月までに100回あまりの勉強会に出席して理念の普及に努めています。関西圏はもとより、藤沢や宇都宮の工場、仙台営業所まで出張しており、さらに所員が出席できなかった勉強会や、PHP研究所で開催を把握できていない会合も多数あったようです。日本ビクター、四国の松下寿電子工業、九州松下電器からもPHP研究所へ出張講義の依頼がありました(※3)。



1)速記録№4708、昭和47(1972)年8月1日、「『人間を考える』発刊にあたって」。

2)以下の情報は、録音№4807、昭和48(1973)年3月19日、第104回経営研究会におけるPHP研究所所員の報告より。

3)録音№P-18、昭和48(1973)年6月21日、錦所長は、特に九州松下電器からは早い段階で依頼があったのに、なかなか対応できていないと述べています。