松下幸之助は戦前に、伊勢神宮に参拝する機会がありました。京都の平安神宮や八坂神社に比べて伊勢神宮が「清楚」であったので、神社のイメージが180度変わったと言っています(速記録№4815)。松下電器社長を退任して後、昭和41(1966)年10月から、(伊勢)神宮崇敬者総代を務めました(※1)。

 伊勢神宮崇敬会会長は、前任者が京都市財界における先輩格であった中野種一郎氏でした。真々庵に何度も来庵したことがあり、逝去の年に後釜を襲う形で昭和49(1974)年3月、幸之助が第3代会長に就任しています。しかし、伊勢神宮にはしばらく参拝する機会がなく、会長になってから初めての参拝は昭和54(1979)年の正月でした(松下幸之助発言集24、255頁)。また、崇敬会会長の延長で全国神社総代会会長も兼務することになったと説明しています(速記録№1603)。


 幸之助は昭和50(1975)年、三重県鈴鹿市にある伊勢国一の宮・椿大神社(つばきおおかみやしろ)に茶室・鈴松庵を寄進しています。伊勢神宮の大宮司が鈴松庵を見学して非常に感銘を受け、同様の茶室の寄進を要望しました(松下幸之助発言集24、295頁)。昭和56(1981)年の幸之助の初詣の際には、改めて場所の指定まであったとのことです(※2)。昭和58(1983)年3月13日の地鎮祭を経て、6月には実物大の模型を同地に建ててみて景観に配慮しました。茶室は、昭和60(1985)年4月11日に竣工を迎えています。茶室全体が「神宮茶室」、四畳半台目の茶室が「霽月(せいげつ)」と命名されました(写真)。


 幸之助は、就任満10年を機に昭和58(1983)年に崇敬会会長を退任しています。



1)「立派な茶室が献納されます―松下幸之助氏が米寿を記念して―」『瑞垣』第130号(神宮司廳、1983年)46頁。

2)「神宮茶室が完成しました」『瑞垣』盛夏号(神宮司廳、1985年)、80頁。