Q85:幸之助の以下のエピソードで当てはまるものは?

昭和40年代中頃、PHP研究所の月刊誌『PHP』の編集長は、内容がマンネリに陥ってはいけないと考え、企画やレイアウトを全面的に一新しました。できあがった雑誌を見た幸之助の反応はどうだったでしょうか?

(1)「すべてを変えてとてもよくなった」と喜んだ

(2)「もっと早く変えるべきだった」と諭した

(3)「今月の『PHP』誌はなんだ!」と怒った

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解答&解説コラム

 (3)が正解です。

 昭和40年代中頃のこと。発行部数をさらに伸ばすためには、代わり映えのしない内容に終始していてはいけないと考えた月刊誌『PHP』の編集長は、誌面の刷新を思い立ちます。表紙から編集後記にいたるまで、企画、レイアウトをすべて変更して刷り上がった新しい雑誌はなかなかの出来映えで、編集長は自信満々でした。ところが、それを手にした幸之助の第一声は、「今月の『PHP』誌はなんだ!」というものでした。
 驚いた編集長が「マンネリ気味になった内容を打ち破るために変えました」と答えると、幸之助は「ものには変えていいことと、変えてはいけないことがある。南無阿弥陀仏というお念仏は、それこそ何百年もくり返しているが、マンネリだといって変えているか!」と言ったのです。
 常によりよいものをめざす姿勢は大切。しかし、変えてはならないものは見極めないといけない。それを考えずに、変えんがために変えるのでは本末転倒であるという戒めでした。