公の席では滅多に妻むめののことを口にしない幸之助が、松下電器の創業五十周年の記念式典にはむめのとともに出席した。そして、社員への挨拶のなかで、つぎのように語った。
「私は"奥さん"と言うておるのですが、会社を創業してから約十六年間は、工場と住まいとがいっしょでしたので、奥さんも仕事を手伝い、住み込み店員の世話をしてまいりました。家族主義の経営とでもいいましょうか、起居をともにして仕事をしてまいったのです。
商売を手伝ったり、店員の方々の世話をしたりすれば、意見や主張も生まれます。私にあれこれ言って喧嘩もよくしましたけどね。言いあいをするなかで、店もしだいに繁栄してきたのです。昭和八年に工場が手狭になったということで、門真に引っ越しをいたしました。それを機に奥さんは家庭本位の仕事になりました。
そういうことで、五十周年の記念日を迎え、いちばん感慨深いのは、私自身であり、また奥さんだと思います。二人で喜んで、この席に参上したわけです。奥さん、長いあいだどうもありがとう」
壇上から、むめのに対して頭を下げる幸之助の姿を、万雷の拍手が包んだ。