昭和三十五、六年のこと。当時の冷蔵庫の販売は、各メーカーが十月にその年の新製品をいっせいに発表、その展示会をディーラーが見てまわって注文するというかたちで行なわれていた。したがって各メーカーとも、展示会にすべてを賭けて、いかに他社よりすぐれた新製品を打ち出すかにしのぎを削っており、ときには勢いあまって企業スパイまがいの情報収集合戦も見られる状況であった。

 そんなとき、たまたまある有力な筋から他社情報の売り込みの話が、松下電器にもたらされた。冷蔵庫事業部の責任者から相談を受けた幸之助は、即座に答えた。
 「それはやめておこう」
 そしてこう続けた。

 「なあ、きみ、神通力という言葉を知っているやろ。そういう言葉があるということは、これまでにその神通力を身につけた人があったということや。だからわれわれでも、ほんとうに事業に打ち込んで徹底すれば、神通力が身につくはずや。そうなれば、他社の動向でもなんでもおのずとわかるようになる。そうならないかんで」