戦後の混乱のなかで、“どうして万物の霊長といわれる人間が、このように苦しんでいるのか”という疑問から、幸之助は、昭和二十一年十一月、PHP研究所を設立した。創設まもないころは、みずからあちこちに出かけ、PHPの思いや考え方をさまざまな人に訴えてまわった。税務署に行っては署員に、大学に行っては先生に、お寺に行っては日ごろ人の道を説いている僧侶に。
あるとき、大阪地方裁判所を訪ね、所長をはじめ五十人ほどの判事を前に話をしたが、質疑応答の際に、一人の若い判事が立ち上がって質問した。
「松下さん、あなたはいま繁栄の道をいろいろお説きになった。それはたいへん結構だと思います。ところで、今、石炭が足りないということがやかましく新聞に出ていますが、あなたはどうしたら石炭が出ると思いますか」
当時、戦後の復興をなし遂げるためには、どうしても主燃料の石炭を掘ることが必要であった。政府は、石炭の価格を統制し、炭鉱には「もっと掘れ」とやかましく言っていたが、実際には、石炭は十分出まわっていなかった。
幸之助は、その質問に対してこう答えた。
「それはまず何よりも、石炭にきいてみることですね」
「松下さん、まじめな話をしてください。石炭に理由をきくだなんて、冗談じゃない」
「いや、これは冗談ではありません。まじめな話です。もちろん、石炭はものは言いません。しかし、仮に石炭がものを言うとすれば、『今のような状況ではとても出ていく気にはなれない』と答えるのではないかと思うのです。
今の日本は、石炭がなければ国家の再建ができないというような状態です。このことは政府も言っているし、われわれ国民もそう思っている。にもかかわらず、政府は石炭が大事だから大いに増産しようと言う一方で、その値段をできるだけ安く抑えようとしています。それはいわば石炭を虐待している姿であり、そうしたところに私は問題があると思うのです。
たとえば、ここに倒産の危機に瀕している会社があるとしますね。社長としてはこの会社をなんとか再建したい。そこで、このようなことを幹部に言ったらどうでしょう。
『私は従業員のためにも、社会のためにも、この会社を立て直したい。ついては有能な諸君に率先して働いてもらいたい。けれど、会社がこんな状態だから、給料は減らすことにする』
これでは、幹部の人たちの仕事に対する意欲が薄れてしまうでしょう。幹部の人を有能だと認め、それに応じた働きを求めるのなら、それに見合った処遇をしなければならんと思います。私は、日本の政府は今日、この優秀な社員を他の社員より安い給料で働かそうということと同じことを、石炭にしているように思うのですね。他の物の値段はどんどん上がっても黙認しているのに、再建に必要な石炭については、安くしろ安くしろとばかり言って虐待している。これでは石炭は出てきたがらないですよ」