昭和九年十一月、松下電器は新しい事業分野である小型モーターの生産販売を開始した。
 当時のモーター業界は、第一次世界大戦で急速に伸び、昭和四、五年の不況でいっそう地盤を固めた重電各社が支配していた。
 そうしたなかでの生産開始であったから、発表会に集まった新聞記者のあいだからもその将来性を疑問視する質問が出された。

 

 「松下さん、モーターは重電会社の領域です。その重電系の分野の仕事を、しかも大阪で新しく始めて、果たしてうまくいくんですかね」

 

 こうした疑問の声に、幸之助はうなずきつつ逆に問い返した。
 「今、皆さんのご家庭では、モーターを何台ぐらいお使いですか」

 

 そうきかれて思いつくのは扇風機ぐらいというのが当時の一般家庭の状況であった。顔を見合わせる記者たちに、幸之助は続けた。

 

 「私はモーターの将来の需要は、莫大なものだと思うんです。お互いの生活程度がだんだん高まっていけば、やがて家庭でいろんなかたちで小型モーターが使われるようになってきます。ところが現状は、ここにお集まりの皆さん方のような相当文化生活について関心の高い方々のご家庭でも、まだほとんど使われていない。これがやがて十年なり、二十年たってごらんなさい。皆さんのご家庭で必ず、二、三台、いや十台ぐらいが使われるようになりますよ。そうすると、これはゼロから無限大ほどに需要が増えるということです。そういう有望な仕事をやろうというわけですから、私はきっとうまくいくと思いますね」

 

 幸之助の予言が、第二次世界大戦後に現実のものとなったことは、改めて言うまでもない。