昭和八年、松下電器は、大阪の北東郊外に位置する門真村に新本店と工場群を建設し、事業の本拠を大開町から移した。大開町の工場では、日々の生産が追いつかなくなったからである。

 寝屋川流域にある門真は、河内名産の蓮根畑が見られる田園地帯だったが、区画整理がすんで売りに出された土地があった。どこかいい土地はないかと探していた幸之助が一見してここがいいと決めたのである。

 ところが、大阪から見て門真は北東、表鬼門である。鬼門へ移転するのはなんとなく心にひっかかるものがある。いやがる者も少なくない。
「方位の悪いほうへわざわざ行くなんて、やめたほうがよろしいで」
 忠告してくれる者もあった。

"なるほど、そう言われてみればそうだな......"
 気にしだすと気になるものである。しかし、鬼門だからといって門真進出をあっさりあきらめてしまうわけにはいかない。大阪市内では、十分な土地を確保することはできない。将来の発展ということを考えてもこの門真しかない。どうにか門真進出を果たしたい、しかし鬼門だというのもひっかかる。
 いろいろと考えているうちに、幸之助の頭にフッとひらめくものがあった。

"北東にあたるのが鬼門だというが、南西から北東にのびる日本はいったいどうなるのだ。どこへ行っても鬼門ばかりで、日本国民は全部、日本の国から出ていかねばならなくなる。そうしてみると、門真は確かに大阪の鬼門だが、鬼門であること自体は気にすることはない"
 こう考えると幸之助の胸はスッと楽になった。

"かまわん、気にせんとこ!"
 幸之助は門真進出を決断した。