松下電器がまだ五十人くらいの規模のときのことである。
 従業員のなかに工場の品物を外に持ち出すという不正を働く者が出た。
 それは幸之助にとって初めての体験であった。

 

 “どういう処置をすべきか、主人である自分がピシッと決めなければならない。工場をやめさせてしまうこともできるし、何らかの罰を与えてすますこともできる。どちらがよいのか”

 

 いろいろ考えだすと夜も眠れなくなった。
 当時は、従業員の解雇は比較的簡単で、一方的にやめさせることもできた。それで世間も納得し、問題になるようなこともなかったのである。
 しかし、幸之助は、せっかく採用していっしょに仕事に取り組んでいる従業員を、ちょっと不正をしたからといってすぐにやめさせてしまうのは気がすすまなかった。

 

 “できれば、これからもいっしょに仕事を続けていきたい。しかし、たとえちょっとしたことでも一度不正を働いた者をそのままみんなといっしょに働かせることが好ましいのかどうか。やはりここは、思い切ってやめさせるのがいちばんいいのではないか”

 

 考えてもなかなか結論が出ず、迷いは深まるばかりであった。
 そんなとき、幸之助の心にフッとある考えが浮かんだ。

 

 “今、日本に悪いことをする人はどれくらいいるのか”

 

 ということである。

 

 “法を犯すような悪いことをする人が、かりに十万人いるとすれば、法にはふれないが軽い罪を犯している人は、その何倍もいるだろう。その人たちを天皇陛下がどうされているかというと、あまりに悪い人は監獄に隔離するけれども、それほどでもない人については、われわれといっしょに生活し、仕事をすることをお許しになっている。そうしたなかにあって、一工場の主人にすぎない自分が、いい人のみを使って仕事をしようとすることは、天皇陛下の御徳をもってしてもできないことを望んでいるようなもので、少し虫のよすぎる話ではないか”

 

 天皇陛下が絶対的な存在であった時代である。幸之助はそう考えると非常に気が楽になった。

 

 “将来もし千人、二千人と会社が大きくなっていけば、何人かは会社に不忠実な人や悪いことをする人が出てくるだろう。たくさんの人を使っていくのであれば、それはいわば当たり前の姿だ。しかし、それは百人のうち一人とか二百人のうち一人とかで、従業員全体としては信頼できる。それは経営者にとって非常に幸せなことではないか。とするならば、特にやめさせることはない。必要な罰を与えるにとどめておこう”

 

 このことがあってから、幸之助は従業員を信頼し、非常に大胆に人を使えるようになった。