松下電器が住友銀行と取引きを始めたのは、昭和二年のことである。新しくできた西野田支店の行員の熱心な勧誘にほだされて、取引きしてもよいという気になった幸之助は、そのとき一つの条件をつけた。それは、取引き前に、二万円までは必要に応じて無条件に貸し付けることを約束してほしい、ということであった。

 しかし、銀行からは、貸付けは希望にそうようにするが、その前にまず口座を開いて取引きをしてもらいたいと言ってきた。

 幸之助は納得できなかった。単に取引きするだけなら、新たに住友銀行と取引きを開始する意味はない。取引きを始めるにはそれなりに松下電器の信用を認め、それを形に表わしてほしいというのが幸之助の思いである。そこで行員にこう言った。

「信用して取引きする以上、開始にあたって貸付けを約束することも、取引き後に貸すことも同じではありませんか。私の条件が容れられないということは、私どもをほんとうに信用してくださってはいないということでしょう。ですから、取引き開始にあたっては、どうしても私どもの条件をのんでいただきたいのです。こちらは急ぎませんから、一度、徹底的に松下電器を調査してください。調査し直して、それで得心がいけば貸付けの約束をするということで結構です。支店長さんともよく相談してください。私が一度お会いしてもいいです」

 数日後、その行員の仲介で幸之助は支店長に会ったが、そのとき幸之助は自分の考えを説いた。
「取引きというものは、大なり小なり信用があってできるものです。十分調査すれば、一定の範囲で信用というものがわかるはずです。にもかかわらずお約束いただけないということは、私どもを真に信用していただいていないことと同じです。そうであれば特に取引きの必要はないと思うのです」

 幸之助の話を静かに聞いていた支店長は、大きくうなずいて言った。
「わかりました。あなたのお話には感銘を受けました。私も長いこと銀行勤めをしていますが、まだ取引きもせぬ前から、無条件貸付けを要求されたのは初めてですよ。本店ともよく相談し、一度調査をさせていただき、必ずご希望にそえるよう私も大いに努力してみたいと思いますから......」

 こうして、松下電器の調査が行なわれ、支店長も奔走して、二万円無条件貸付けという前例のない約束のもと、住友銀行との取引きが開始されたのである。