戦後の復興に取り組んでいたころ、松下電器が五十万本の真空管の月産に成功して、当時、真空管メーカーではトップであったT社の四十五万本を五万本上回って日本一となったことがあった。その祝杯をあげているところへ、幸之助がやってきた。担当責任者が呼ばれ、行ってみると、
「ずいぶんたくさん真空管をつくったそうやな」
「はい、五十万本つくりました」
「そうか。それはうまいことやってくれたな」
責任者はてっきりほめられていると思った。
「五十万本というたら、T社より多いのとちがうか」
「はい、五万本多いです」
「それはご苦労やった」
が、だんだん雲行きがあやしくなってきた。
「きみは楠木正成という人を知っておるか」
「知っております」
「あの人は戦が上手やったな。あの人の戦の仕方知っておるか」
口調が穏やかなので、ほめられていると思い込んでいたが、どうもそうではないらしい。何か言い聞かそうとしている。そう感じた責任者は、
「先ほどからほめていただいていると思って喜んでいましたが、何かご注意を受けているように思いますので、率直にひとつ聞かせてください」
「そうか。わからんのやったら、はっきり言おう。きみね、T社は真空管をいつからつくっておるのや」
「私が生まれたときからつくっておりますから、もう三十四、五年になると思います」
「T社の真空管の歴史は三十五年か。わが松下の真空管の歴史は何年や」
「戦争中からやっておりましたけれども、本格的に始めたのは私が来てからですから、まあ四、五年です」
「T社は三十五年の歴史をもっている。わが社は四、五年だ。だとすれば、T社の生産力、技術力と、松下の生産力、技術力とどちらが上や」
「それはもう言うまでもありません」
「そやろ、きみ、早い話がT社がネコだとすれば、松下はネズミやな。しかし、きみは今、T社を追い抜いたと得意になって喜んでいる。これは、弱いはずのネズミが、ネコの頭をコツンと叩いているのと同じやで。だからさっきから楠木正成の話をしておるんや。楠木正成という人は名将や。敵と戦うときには、相手の逃げるところをこさえておいて戦をした。ちょっとこちらが優勢になったら、相手は逃げ道があるから、みなダーッと逃げる。そういう戦の仕方を言うておるんや」
しかし、責任者はまだよくわからない。怪訝な顔をしていると、幸之助はさらに言った。
「考えてもみ。きみ自身が言うておるように、T社が三十五年でうちは五年ということは、T社のほうがはるかに力が強いということや。だからきみのやっていることは、世間の常識に反しておるんやで。ネズミというやつは、ネコには勝てん。そのネズミであるきみが、ネコであるT社の頭を叩いておる。これはろくな結果が出んよ。T社は必ず手を打ってくるはずや。もし、きみに真の経営的考え方があるならば、T社がたとえば百万本の真空管をつくれば、うちは九十九万九千九百九十九本、一本差の二位に甘んじようとするだろう。そういう心の余裕をもたなあかんのや。それをさっきから指摘しておるんや。事業というものは、力任せにやればいいというものではない。売れればいいというものでもない。それをさっきから言うておるのに、きみはわからんらしい。楠木正成も知らんのか」
そこまで言われてやっと責任者は、分に応じた地位を守るべきだと言おうとしている幸之助の真意を理解した。
実際、幸之助が懸念したとおり、T社は翌月から真空管を増産し、結局、松下の真空管の生産量が日本一だったのは、たったひと月だけであった。