昭和三十年のこと、ある中堅幹部が幸之助から、当時松下電器が福岡市をはじめ各方面から強い要請を受けていた九州への工場進出の是非について意見を求められた。彼は、自分の思うとおり、率直に答えた。
 「私は不賛成です。いろんな面で不利だと思います」

 彼があげる不利な理由をいちいちうなずきながら聞いてから幸之助は言った。

 

 「きみもそう思うか。みんなもそう言っとる。でもな、わしは引き受けることに決めたんや。というのはきみな、九州の人たちがここまで熱心に言ってくれるのに断わることはないとわしは思うんや。
 松下電器というのは社会の公器や。貢献する道はいろいろある。けど、わしが考えるに、おそらく今後の日本の社会には、過密過疎という現象が起きるにちがいない。東京と大阪が極度に肥大をして、郡部がだんだんと過疎化していく。今、九州の人たちがいちばん悩んでいるのはそういうことやろう。職がないから人が出ていくのであり、人口が減少したり、職場に定着しないことが地域社会としての大きな問題になっている。松下電器に『やってくれ』と言うのは、いろいろ世の中を見わたしてみて、松下電器という会社がいちばん適当だと皆さんが考えて、そうおっしゃってくださるのや。その好意にこたえるのがわれわれの義務やないか。ここでわれわれが一所懸命やって、九州経済あるいは九州地域全体に貢献することは、すなわち、日本に貢献することであり、松下電器の責任を果たすことになる。なるほどきみたちが言うように、それは非常に不利な条件ばかりだけれど、若干の経済性を犠牲にしても、この際松下電器は地域の要請にこたえるべきや。そう考えたんで、わしはやることに決めたんや。
 しかし、これを担当する人は苦労するな。太っている人なら、たぶんちょっとやせるやろな」


 しばらくして、この中堅幹部に、“新設の九州松下電器の実務担当責任者として赴任せよ”との命が下った。