昭和二十年代後半、松下電器東京特販部は、生産販売を始めたばかりの電気冷蔵庫を、当時日本一といわれていたデパートに納入すべく懸命の努力を重ねていた。
 当時、そのデパートの電気器具売り場では、電気冷蔵庫も舶来品嗜好から外国製品が各種各様に雛壇に並び、国産品は末席に展示されていた。
 日本一のデパートの売り場に展示されることが、東京全域の販売店に対して、ナショナル冷蔵庫拡売の決め手になるともなれば、東京市場拡大のためにはそのデパートへの納入が焦眉の急であった。

 努力の甲斐あってようやく話が決まり、納品が無事完了して、特販部が喜びに沸きたっていたときである。たまたま幸之助が上京、銀座にあった特販部に立ち寄った。責任者から改めて納入成功の報告を受けた幸之助は、「それはよかったな。ご苦労だった」と部員をねぎらったあと、こう続けた。

「しかし、ものごとはね、とどめをさすこと、これが絶対肝心なことやで。きみたちはとどめをさしたかね。さしとらん。実は、いま私は、そのデパートに寄って、売り場を見てきたんやが、仕入部に納品したことで満足しとったらあかん。仕入部に納品できたかて、その商品を電化製品売り場の冷蔵庫コーナーの人目によくつくよい場所に展示してもらい、販売促進につながる姿にしなければ、ほんとうにそのデパートに納入したことにはならん。今のところはまだ肝心のとどめがさされておらん」

 幸之助は上京するなり、東京の主要マーケットを歩き、そのあとで特販部に立ち寄っていたのである。