松下幸之助用語

信賞必罰

 

用語解説

 昭和二十一年一月、松下幸之助は「復興の道を一路邁進し、日本の生産の復旧を松下電器から始めるのだ」という気構えでいた。それにはまず幹部が率先して模範的な勤務ぶりを示す必要がある。そこで自らは無遅刻無欠勤を貫こうとした。

 しかし初出勤当日、大阪駅に迎えの車が来ず、十分の遅刻をした。遅延の理由をただすと、不可抗力ではなく不注意が原因だった。松下幸之助は、これに関係した社員、責任者に一カ月の減俸を命じ、責任者の上司である自らにも一カ月の給料返上を決定、朝会で社員に報告した。

 責任を自覚した立派な行ないは賞し、責任をおろそかにした行動は罰する。その信賞必罰を自ら実践したのである。