松下幸之助の数多い著作のなかに、「心得帖」と名のつくものが4冊あります。

 発刊以来、多くのファンの方々にご支持をいただいて、それぞれロングセラーとなっていますが、この人生・仕事・商売に対する幸之助の基本的な考え方をまとめた「心得帖」シリーズを、今回はその制作当時のエピソードとともにご紹介します。

 

 新入社員の方々、さらにはその方々を受け入れて、部下指導をする立場の方々が、日々みずからの仕事に対する考え方・取り組み方の点検をされるなかで、このシリーズが参考になれば幸いです。

(2011.4.7更新)

 

詳細

「心得帖」シリーズの4作品を発刊順にご紹介します。

商売心得帖』 昭和48年2月

経営心得帖』 昭和49年7月

社員心得帖』 昭和56年9月

人生心得帖』 昭和59年9月

  

 この4点は、幸之助の数多い著作のなかでもきわめて売行き好評のシリーズで、和綴じ本風のスタイルでつくられているなど、装丁の紙質・デザインに特徴があります。いまの時代では古めかしさも感じられるかもしれませんが、その分、姿勢を正して読みたくなる、そんな超ロングセラーとしての存在感を感じさせる仕上がりになっています。

 

松下幸之助の本 発行部数BEST10(2011年4月1日現在)

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※発行部数はそれぞれ、単行本・文庫・新装版などすべてのバージョン(版型仕様)の累計

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 このなかでも、「商売人・松下幸之助」の行き方・考え方をまとめた代表作『商売心得帖』は、親しみやすくわかりやすい幸之助の語り口が存分に活かされていることにくわえ、装丁に関しては、色調はシンプルなものの「創り方」が細部にまで手の込んだものになっています。

 

 その制作過程におけるエピソードを、当時の編集者が書き記していますので、以下にご紹介します。幸之助の「ものづくり」への考え方、こだわり、執念といったものが感じられます。

 

『商売心得帖』の制作エピソード

――松下幸之助著『商売心得帖』は、昭和48年2月に発刊されました。この書籍は、松下がその体験を通じて実感してきた“商売で大切なこと”をまとめたものですが、発売以来何度も版を重ね、松下の代表的な著作になっています。当時私は出版の仕事に携わっていましたが、思い出すのは、この書籍の制作過程でのことです。

 

 「心得帖」というタイトルがつけられたこともあり、松下の発案によって、和風の装丁が考えられました。謡曲の本や江戸期、明治期の本のような和綴じ本です。表紙の紙にはしんだん紙が選ばれました。しんだん紙というのは、和紙の風合いの洋紙で、凹凸が激しい紙です。それだけに、印刷会社の技術者によると、紙にインキがのらず、ムラが出たり、紙粉が出たりして、印刷をするには無理があるということでした。

 そこで印刷をあきらめ、手間と費用がかかるのですが、謡曲本等が行なっているように、タイトルの部分は別に短冊状の紙に印刷し、それを紺色のしんだん紙の表紙に張り付ける方法をとりました。けれども、これは糊で貼るために、糊が乾くと短冊の周りにしわが出てしまったのです。そのことを松下に報告すると、次のような厳しい言葉が返ってきました。


 「印刷や紙の専門家が、この紙に刷れないと言っているんか? しかし、これまではできなかったかもしれないが、いまはできるかもしれないではないか。君らはやってみたんか。実際にいろいろやってみないでどうしてできないと言えるのか」
 

 次の日から印刷所に赴き、夜遅くまで紙や印刷の専門家とともにテストを重ねました。そうするうちに、なんと、うまく刷れるようになったのです。その結果、製造コストも安くなり、制作日程も短縮され、抱えていた問題点が一気に解決されました。


 フォードの言葉に、「優秀な技術者ほどできないという理論を知っている」というのがありますが、知識をもっているばかりにその知識にとらわれて、ともするとできないと思ってしまうことが多いものです。この場合、印刷会社の専門家もそれまでの知識にとらわれていたことになりますし、われわれも、印刷や紙のことがなまじっか分かるだけに、専門家の言うことに、それも当然であろうと納得してしまっていたのです。


 松下は、「知識は大切であるがそれにとらわれてはならない。物事に行きづまったときに、ダメだと決め込まないで、今一度、自分がもっている常識や既存の知識にとらわれず素直に物事を見直せば、思いもよらぬ解決法を見いだせることが多い」と説いています。


 松下自身、人間は欲望や感情、あるいは知識や過去の体験などさまざまなものにとらわれがちなものであり、とらわれてしまうと真実を見失う、だから何にもとらわれない素直な心でものを見、判断しなければならないと考え、日々その努力を重ねていたのです。


 『商売心得帖』の制作過程で、まさに商売の心得、人間としての心得を教えられたような気がしました。

――『松下幸之助 運をひらく言葉』(谷口全平著)より

 

 こうした過程を経て完成したこの作品は、なんと129刷を重ね(2011年4月1日現在)、文庫も加えると先の発行部数にいたっています。

 

新社会人の方におすすめ

 丁稚奉公からスタートし、まさに「たたきあげの商売人」としてさまざまな体験をした松下幸之助ならではの考え方、心がまえといったものがふんだんに盛り込まれたこの『商売心得帖』のほかにも、『社員心得帖』『人生心得帖』の2作品がとくに、新社会人として人生を歩み始められた方々におすすめです。ぜひ、読んでみてください。