これからの日本は、国としての総合力を高めていくことが大切で、その柱になるのが徳である。一方で物を豊かにしつつ、同時に他方で心の面を高めて、そこに物心一如の繁栄を実現していく。それが今後の日本と日本人が目指すべき精神大国の姿である。

 

“精神大国”への道を

発表媒体

PHP』1971年3月号 「あたらしい日本・日本の繁栄譜」

 

内容抄録

 私は、今日の日本の姿を見、あるいは今後の日本人お互いの幸せというものを考えてみるとき、掲げるべき目標はおのずと一つにしぼられてくるような気がするのである。

 それはどういう目標かというと、一言でいうならば“精神大国”というか“道徳大国”とでもいうべき姿を実現してゆく、ということである。(中略)

 

 考えてみれば、終戦直後、われわれ日本人は住むに家なく、着るに服なく、またその日の食糧にさえ事欠くというような状態に陥っていた。だから、とにかくまず物をつくらなければならないということで、しゃにむに物をつくることのみに力を注いだ。そうした姿がその後もずっと続けられ、その結果として、今日のわが国は経済大国といわれるような姿にまで発展してきたのである。

 ところが、そのように、いわば物の面のみに重点をおいて、国家国民全体の活動がおし進められてきたために、人びとの心の面というか、精神面というものを高めるというようなことが、どちらかというとなおざりにされがちであった。そしてそれが結局、今日ここにきて、人びとの心の面の立ちおくれというような姿をあらわすことにつながってしまった、といえるのではないだろうか。それがひいては、社会の各面においていらざる争いの姿を生み、また時として混乱をもたらし、さらには非行犯罪などの増加を生じさせている一つの大きな要因となったようにも思えるのである。

 

 そういうことを考えてみると、これからの日本においては、物をつくるということのみに力を注ぐという姿ではいけないのではないかと思う。今後の日本は、単に物の面を豊かにするというだけでなく、もっとお互いの心の面の向上をはかってゆくことに、大きな力を注がなくてはならないのではなかろうか。そしてそこに、心も豊か、身も豊か、というような、いわゆる物心一如の繁栄の社会をつくってゆくことが大事だと思う。それがすなわち、ここでいう“精神大国”ともいうべき国の姿だと考えられるのである。

 われわれが将来の日本を考えるとき、とりわけ大事なことは、この精神大国を築きあげてゆくことを、国家国民全体の一つの大目標として、国の内外にはっきりと掲げることではないかと思う。そして政治、経済、教育、その他社会の各面において、その目標を達成するための具体的な方策をうちだす、そしてさらには、国民一人ひとりがこうした具体案に基づき、それぞれにみずからの心を養い、高めてゆく、そのことが何にもまして大切なことではないかという気がする。そうすれば、そこにやがて、この国日本とお互い日本人にとって、真に好ましい繁栄の姿も生まれ、それがひいては、世界の真の繁栄にも結びついてゆくにちがいないと思うのである。