1つの団体が力強い発展をするためには、まず基本の方針、方向というものが明確でなければならない。国家においても、運営の基本方針、つまり、国是というものが不可欠である。したがって、政府は国民と共に、国家100年の大計に基づく国是を早急に確立しなければならない。

 

会社に社是、国家に国是

発表媒体

PHP』1966年6月号 「あたらしい日本・日本の繁栄譜」

 

内容抄録

 今日“国是”ということばは一般にあまり使われないようである。これはあるいは道徳や治安と同じように、終戦後言うをはばかってきたのであろうか。しかし、国是とは、辞書によれば“国を挙げて是と認めた施政上の方針”とある。すなわち、政府も国民もともに同意した国家経営の基本方針ということである。したがって、国是ということばそれ自体は、なんら言うをはばかる必要があるものではない。むしろいつの時代、どこの国においても、その国の繁栄、発展のために必要なものだと思う。

 

 われわれが一つの団体なり社会を形成し、その発展をはかってゆこうとする場合には、まずその団体なり社会を運営してゆく基本の方針というものが明確になっていることが必要であろう。たとえば、家庭という小さな社会にしてもそれが健全であるためには、やはり家庭としての方針が必要だと思う。もちろんその方針は、文章として一つにまとめられているといった、大げさなものでなくてもよいわけだが、そうした基本の方針にもとづいて、家庭生活が営まれることが必要であろう。

 

 会社とか商店とかの企業経営についても同じだと思う。発展を続ける会社、商店には、一つのしっかりした経営基本方針というか、社是というものが明確に定められている場合が多いようである。全従業員が、一つの社是を共通の基盤として、その上に立って力を結集し、企業としての目標達成に努めてゆく。そうしてこそ、能率のよい経営を営む道がひらけ、力づよい発展、繁栄というものがもたらされてくるのであろう。

 

 一国を経営するということについても、全く同じことではないだろうか。家には家の方針、会社には社是のあることが健全な営みのための一つの大きな条件であるように、国に国是のあることが、一国の繁栄のために欠くことのできない一つの条件だと思うのである。もとより私がここで言う国是とは、国民の思想の自由を拘束するものではない。国民がその思想において自由であることは大いに尊ばれなければならない。しかし、そうしたいろいろの思想を超えて国民共通の基盤となりうる方針というものが考えられるであろう。それが国是であり、一国の繁栄のために欠くことのできないものだと思う。つまり、国民がその力を結集し活動の結果を能率よく生かして、真の繁栄、平和、幸福を生み出してゆくためには、やはり国としての信条というか、国民共通の努力目標というものが必要だということである。

 

 過去のわが国においても、その是非はともかくとして、こうした国是というべきものがあったようである。三百年間、一応泰平の世が続いた江戸時代には、“鎖国”というような一つの方針があったし、また封建制を脱皮してわずか四十五年の間に、世界の五大強国の一つに数えられるまでになった明治時代には、“富国強兵”という国是が存在していた。それに、同じ明治時代には、五カ条のご誓文というものが、一つの施政上の基本方針となっていた。これらの方針にそって、政治や経済や教育など、すべての活動が積極的に行なわれていたと思う。

 

 これら“鎖国”とか“富国強兵”とかいう方針が妥当なものであったかどうかは、軽々に断ずることはできないし、また、当時の一般国民から見れば、その方針はいわば上から押しつけられたもの、という批判もできるかもしれないが、とにかく国全体として、一つのハッキリした方向をもっていたことは事実であろう。その方向に国民の活動の結果が方向づけられた。それが、徳川幕府を三百年も続かしめ、また明治のわが国を急速に発展させた一因とも考えられるのではないだろうか。そういうことを考えるにつけても、国として国民共通の努力目標をもつことが、国家経営の上で大きな力を発揮するものだと言えるであろう。正しい国是というものが必要とされる所以である。